【二日目(石見銀山編)】
午前九時半頃、最大の目的地である三江線に次ぐ石見銀山遺跡のある、大田市駅に到着。
そこからは、石見交通の路線バスでそちらを目指す事になりました。
普段なら細やかな人波の島根県中部の地方小都市である大田市。土曜日とあって、観光客で賑わっておりました。
そのバスに乗ると、生活の匂いが漂っており、この様な車内での名所名跡観光案内は、非常に楽しかったです。過疎や少子高齢化による人口減少とマイカーの普及による利用者減少に慢性的に悩まされている、地方のバス会社の生き残りに掛ける工夫と努力の知恵と汗と涙、沿線地域住民の温かい人情が私の心へと深く打つ事が出来たからです。
この様な魅力が、地方路線バス会社の魅力なのでしょう。ついつい、応援したくなりますよね・・。
地域沿線の生活臭と温かい人情、観光客のときめきとが上手く融合した路線バスは、石見銀山エリアへと到着。
そこから私達は、電動付自転車を借りて何処へ行こうかと考えながら、石見銀山遺跡を周遊し始めました。
石見銀山遺跡は、大きく二つのエリアに分かれます。自然環境が豊かで神秘的な銀山地区、美しい石州瓦屋根に彩られた特徴の建物が続く街並み地区となります。
石見銀山が世界文化遺産として認められたのが2007年。今年はその10周年として、祝福行事が次々と行われているのです。
これが世界文化遺産として認められた主な理由として、当時の日本や世界の政治経済に大きな影響を与えた程の規模で以てして大繁栄していただけではなく、その遺構が自然と上手く調和出来ていたからです。正式には「石見銀山遺跡とその文化的景観」となっております。
石見銀山は戦国時代~昭和戦前期まで開山。その全盛期(16~17世紀頃)には、周辺の街には20万人も住んでおり、当時の全世界の銀鉱石産出量に占める割合が約3分の1だったのです。当然、豊臣政権及び徳川幕府の財政基盤の一角を成し、大航海時代のアジアとヨーロッパとの交易にも大きく貢献した程だったのです。
鉱山遺跡が世界文化遺産として認められたのは、東アジア地域では初めて。その認定から2017年現在においては10年目。年月が経つのは、早いものですね。
私達は、最初に銀山エリアを周遊する事にしました。電動自転車で以てしても、かなりの坂道で中年の私達の身体へ持ち堪えてしまいましたが、素朴な民家や屋敷・寺社と美しい自然に癒されました。こんな中、銀山地区最大の間歩である龍源寺間歩へと到着。
里山の緑と石州瓦屋根の赤く輝く民家は、いつ見ても美しい。
大森代官所跡~武家・町家~銀山の各エリアを結ぶ、森と渓谷からの自然の恵みを受けた美しい道。森林浴には持って来いですよね。
龍源寺間歩へと繋ぐ道の途中には、小さい間歩が何か所もあります。

一般通常公開されているものとしては、石見銀山遺跡最大の坑道「龍源寺間歩」の石碑と入り口。この先には、幻想の世界が広がります。
龍源寺間歩の主要坑道の中へ入ると、そこは別世界。
9月の長月とは言え、外の世界はまだまだ暑い頃。行動の中は非常に涼しくて、柔和な空気が漂っていました。同時に、当時の政治家達や経営者、鉱夫達の夢と希望、そして厳しい自然と劣悪な環境との闘いから来す、知恵と血と汗、涙、そして努力と苦労の結晶が私の身と心へと染みて来ました。
この様な説明文書と絵図が描かれた掲示板が、出口周辺にありました。
行動の出口に近づくと、夢と希望の光を浴びた感覚さえもしました。それ程に明るかったのです。
龍源寺間歩の主要坑道。
龍源寺間歩の主要坑道の側面には、無数の間歩があります。
龍源寺間歩を出発してからは、もう一つのメインスポットで多くの歴史的建造物がひしめき合っている、街並みエリアへと向かいました。
途中、左毘売山神社の入り口(境内へは入れなかったが・・・)や清水谷製錬所跡へと立ち寄り、昔日の石見銀山とその周辺と鉱山関係者達の栄華を想像しながらの散策となりました。
行く時の上り坂とは違って、下り坂一辺倒だったので風に当たりながらの森林浴と日光浴とを同時に楽しむ事が出来たのです。

佐毘売山神社への神門と参道。その先には、坑道とは違った神秘の世界が広がっているのでしょう。

長きにわたって稼働していた石見銀山にとっては最後の栄光の象徴。清水谷製錬所跡地。明治時代に、当時の最先端技術による設備で、更なる品質の向上と生産効率の上昇を目指していました。
銀山地区から街並み地区へ向かっている途中、銀山附役人であった旧坂本家の居宅屋敷を利用した、渡辺家住宅へも立ち寄りました。
こちらは、江戸時代後期に建てられた武家屋敷の建物で、現在では一般公開されています。その建物自体の撮影していないために、写真はありませんのでごめんなさい
。その代わり、説明書と平面図を下記へ表示します。

水と緑に溢れた銀山エリアと別れて自転車が街並みエリアに入ると、歴史の薫りと重厚感、そして都会とは違った古くからの田舎の人情味と気さくさを感じるにいられませんでした。そちらには様々な歴史建造物や有料の博物館、お土産屋さんや食事処があります。更なる歴史とこれからの地域社会の在り方についての勉強、ショッピング、腹ごしらえ等、限られた時間の中で如何にして楽しく学び、楽しく遊び、美味しく食す事が出来るのかを考えたり思ったりしながら、大森代官所跡へと進めました。
その途中で私たちが途中で立ち寄った、お菓子処の有馬光栄堂とドイツ風のパン屋さんであるベッカライ・コンディドライ ヒダカはお勧めですよ。特に後者の方は、全般的には塩味が利いてます。外はしっかり、中はふんわりとしていて美味しかったです。
そちらに関する更なる詳しい事や店からの情報については、Facebookページを閲覧する事も可能です。
石見銀山大森地区のシックな街並み。いつ見ても飽きない。
懐かしさを感じる、お菓子処の有馬光栄堂。そちらのお菓子は、お土産品としても人気で、鉱山関係者達のおやつとして長年、愛され続けて来ました。
国産の黒糖をふんだんに使ったげたのは。お茶請けにも最適ですよ!
大豆も黒糖もすべて国産の原材料。ミネラルがたっぷりで栄養満点です。
石見銀山の街並み地区の面白さと良さは、間歩と呼ばれる坑道や様々な歴史建造物、そして山紫水明に満ち溢れた自然だけではありません。
様々な博物館へもろくに入れず、十分な歴史の勉強も出来ずにいて後悔しましたが、外の景観も無料で入れる建物の展示物や室内も面白いものだらけで、訪れた私達の心を躍らせたり、興味や好奇心を引き寄せて来るものばかりでした!
建物全体の写真は写せませんでしたが、木の温もりと歴史観は満載です。
きめ細やかかつ機能的な造りの革張りシートの椅子は、重厚感と華麗さで満ち溢れています。今の技術で以てしてもとても真似が出来ない程の、美しさと頑丈さを兼ね備えています。
代官所ゾーンの高台にある、代官所の祈願寺であった観世音寺からの石見銀山街並みエリアの全景。石州瓦の屋根が煌びやかに輝いて、う~ん美しい。

白壁が美しい、熊谷家住宅。重要文化財に指定されています。入館する事が出来なかったが・・・。

石見銀山の入り口に堂々と聳える、代官所跡。威風堂々とした重厚な風格です。館内は、石見銀山資料館となっていて、石見銀山の歴史が詳細に紹介されています。そちらへも入館出来ず
・・・。
昼食は、大森代官所跡前バス停そばのお食事処 おおもりで割子そばを食し、食べた事が無い出雲そばの味を堪能しました。普段食べている信州そばや江戸風のそばとは違い、麺そのものが硬くて短く、そば本来の甘さと実の硬さを体感出来ました。
昼一時の大田市駅行きの路線バスで、山陰旅行最大の目的たる「三江線への完全乗車」を果たすため、再び大田市へと戻りました
。外の景色は殆ど見るゆとりも無く、睡眠真っ只中の移動となりましたとさ
・・・。
次への続きは、(その3)にて。
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