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2016年3月 7日 (月)

「北陸新幹線開業からもうすぐ一年、北海道新幹線開業間近」について思う・・・。

 今年の鉄道関係での大きな話題は、北陸新幹線の開業から一年と北海道新幹線の3月26日開業である。

 両者とも地元のマスコミや雑誌、関連地域の鉄道会社や経済界や財界、旅行会社、ホテル等が連日の様に喜んでいる。その一方では、寝台列車・定期夜行列車いや急行列車の廃止、並行在来線の三セク化とそちらを走っている優等列車の廃止、沿線地域社会への負担増加、更なる一極集中、運行や保全の維持費の増加、地方の過疎化に対する更なる拍車等深刻で悲しい問題も多い。

 北陸新幹線の方は、東京を中心とした首都圏と北陸西部(特に富山石川の両県)が非常に身近になり、観光客が増えて信州や飛騨地方との組み合わせた新たな周遊も出来て、多大な経済効果が生まれた。しかしその陰では、昔からの緊密な関係にある関西中京方面との利便性が薄くなってしまった事、小松及び富山両空港の利用者が減少し、特に羽田便が深刻であった事(その分、羽田乗り継ぎによる国内国際両便利用割引が拡大されたが・・・)、金沢の一人勝ち現象が起こってしまった事、新幹線に並行する在来線の3セク化による運賃値上げによる利用客減少による、短距離高速バスの利用客の増加、古くから「金沢市民の台所」として、庶民に愛されてきた近江町市場の観光地化による物価の上昇と各商店の後継者不足にあえぐ中での売り上げ低下とそれに伴う閉店と風紀の乱れと地元客離れ(似たような状況が東山茶屋街と野町広小路のにし茶屋街にでも起こっている。)等と言った新たな問題も生まれた。
 
 北海道新幹線の方では、一日13往復と便数が非常に少ないばかりか東京~新函館北斗間の所要時間が最短でも4時間強。しかも、新函館北斗駅が函館市の中心地から約20キロ前後離れており(金沢~能美市間に相当)、函館空港の場所が中心市街地と一体となっている湯の川温泉近辺にあるために、立地利便性とも新幹線の駅の方が非常に不利である。
 肝心要の北海道の中心大都市である札幌とは繋がれておらず、東海道と山陽とは勿論の事、北陸や東北、上越、九州の各新幹線以上に沿線の人口の密度が低く規模も小さいため、収益や運営面においても非常に不利だ。
 しかも、東京~新函館北斗間の下り最終便と上り始発便の「はやぶさ」(新函館北斗で道央地区以北の道内各都市とを繋ぐ列車と接続が可能)と盛岡・新青森~新函館北斗間の「はやて」(盛岡又は新青森で上野・宇都宮・仙台とを、新青森で大阪・金沢・新潟・秋田方面<以下北陸羽越方面>とをそれぞれ繋ぐ列車と接続が可能)、仙台~新函館北斗間の「はやぶさ」(仙台で首都圏方面とを、又は新青森で北陸羽越方面とをそれぞれ繋ぐ列車と接続が可能)とにそれぞれ接続するべき夜行列車が無くて、利便性も悪いどころか完全に本州及び北海道の主要都市とを円滑かつ快適に結ぶ事が出来ない。北海道新幹線と接続するための夜行列車を設定をすべきで、そうしないと北海道新幹線の運営がやって行けないのは必至だ。更には「台風や暴風雨や暴風雪等の不安定で劣悪な気象状況に左右されてしまい易い。」と言う航空機の欠点を補完する事が出来ない問題点もある。
 航空機との運賃価格競争の面において、全般的には新幹線の利用が安いものの、インターネットの早割や特割、限定割、バースデー割、スカイメイト割等と言った割引サービスの種類の豊富さと全国的いや国際的ネットワークに関しては、航空機の方が優位に立っている。使い勝手や予約の時期やタイミングによっては新幹線よりも航空便の方が格安になってしまう場合もある。
 だから以上の様なため、非常に多くの問題を開業前から抱えてしまっているのだろう。

 そのせいか、北海道新幹線の開業前の賑わいは、北陸新幹線のそれとは比較にならない程、規模は小さくなってしまっている。

 しかし、以上の様な問題で諦めたり、委縮する訳に行かないのは当然の流れだ。
 交通が非常に不便である津軽海峡及び日本海沿岸の松前町や江差町、木古内町等では道央以北にはない文化歴史遺産を、新函館北斗駅周辺の七飯町や北斗市等では自然景勝地である大沼や駒ケ岳、函館市近郊のスキー場やゴルフ場を生かしたリゾート施設を、函館市の明治~昭和時代の文化歴史遺産をそれぞれ生かして行く形で、過疎化に喘ぐ地域社会の経済活性化に繋げようと模索して、それを実行して行こうと画策しているのだ。また、新幹線にとっては非常に致命的な140㌔運行からの脱却を図って行くための方策として、最高速度200㌔が可能な貨物新幹線の開発運行の実行を、北海道新幹線の札幌開業までに目指す動きもあるのだと言う情報もある。しかし、その一方では「在来線専用の青函トンネルを新たにもう一本作って、新幹線の本格的な高速運行を可能なものにして行こう。」や「最高速度時速400キロでの運行可能な技術の開発と営業を実行して行こう。」との声もあるのだ・・・。更には北東北地域との「縄文時代の文化遺産の活用」や「青函地域の連携」というキャッチフレーズで、観光面での連携も進めている。

 共通の問題としては、観光中心主義による一時的な地域経済の活性化に過剰依存してしまう事が無い様、よりよい健全な形で新幹線開業効果の定着化を図ってほしいものだ・・・、と感じて止まない。そう、私には感じているのだ。

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2016年1月 2日 (土)

氏神参りと周辺散策へ・・

 新年あけましておめでとうございます。
 2016年を迎える瞬間の真夜中に、友人と白山比咩神社尾山神社へ行きましたが、それでは物足りなかったので、実家の氏神様である尾崎神社と大学受験がもう直ぐの甥の大学受験合格祈願のため、金沢神社へ行きました。
 尾崎神社を参拝した後、金沢神社へ行く途中に玉泉院丸庭園へ行きました。そこが造成建築される前は、石川県立体育館があった場所です。そこを見ていると、トランポリンやジム器具で遊んだり運動していたりしていた頃を懐かしみながら、日本情緒がコンパクトに纏められている美しさを堪能していました。
 その後、金沢城址公園や兼六園を経由して、参拝出来ずにいて悔しい思いをした石川護国神社をちらっと見て、金沢の地名の由来である金城霊沢があり、学問の神が祭られている金沢神社へと辿り着きました。受験シーズンを抱えた中高生やその親御さんたちで非常に混雑し、30分以上待たされました。懐かしき中学高校時代を思い出させてくれます・・。体調不良で参拝出来ない母や受験勉強で忙しい甥の代わりに、絵馬へのメッセージを書きました。
 今回の尾山神社と金沢神社への初詣参りは、単なる氏神様へのお参りと甥の大学受験合格祈願だけでは止まらず、金沢城址散策と言う形での「日常生活の中ではとても出来ない、わが故郷金沢再発見、地元再発見。」と言うものでした。余りにも実家から近いためか、仕事等で忙しい毎日を送る私にとっては貴重な一日でもありました。
外は、北陸の冬としては大変貴重な晴天でした。雪は無くても、雪吊りされた木々の美しさには圧巻でしたよ。

2014年3月17日 (月)

さようなら、ラブロ片町。そして、旧大和も・・・。

 ここ最近の金沢市は、来年の北陸新幹線bullettrainの開業と言う新たな一歩に向かって行く形で元気happy01な街にして行こうと、ソフト面でもハード面でも創意工夫がなされています。
 駅周辺では、県内外の企業によるホテルhotelやマンション、ビルbuildingの建設ラッシュが真っ只中で、駅前の一等地の地価価格が高騰up。ここ最近までは、空洞化や住民の高齢化に悩まされていた中心街では、食や文化から政治経済等の学術的なものまでをテーマとした各種イベントが行われ、観光産業の振興や大都市圏への流出を何とか防ごうと必死coldsweats02になっています。その波は石川県内全体にまで広がっています。

 そんな中、非常に悲しくweepて寂しいshock出来事があります。それはラブロ片町の閉店と旧大和本店の開店以来から続いている建物の取り壊しです。詳しくは、平成26年3月17日付け平成26年3月17日付の金沢経済新聞の記事に、大和百貨店旧本店時代からの歴史については、香林坊大和のブログにそれぞれ記載されていますので、御覧になって下さいね。

 

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 旧大和本店時代の建物を大改築した、ラブロ片町の建物。古くから、片町のシンボリックなランドマークとして今でも威風堂々としています。もうすぐで、この建物が片町から姿を消します。再開発後には、新たな複合施設が経ちます。
 すっきりとした外観の建物ではあるが、その中と裏は昭和ロマンに満ち溢れています。

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Dsc_00691 アンモナイトの化石が埋まっている大理石製の階段の手摺。重厚感がたっぷり・・・。

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 裏通り(木倉町)側から見た、白亜の建物の全容。その最上階には旧大和時代のパノラマレストランであった「クラウンレストラン」が、屋上にはプレイランドがあり、私が資料や書籍で読んだ所によると、そこにはスリル満点のモノレールもありました。昭和中期には、日曜祝日になると、そこは遊園地carouselponyの様に親子連れなどで非常に賑わっていたとの話を聞いた事があります。Dsc_00821

 昭和中期の大和近辺の模型です。

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 私と旧大和及びラブロ片町との関わりは、幼少時代から現在に至ってまで続いていました。父親や母親などと一緒に大和屋上のプレイルームで遊んだり、そこからの景色を楽しんだり、スカイレストランで食事をとった事も有りました。今は無き、近くのキノミ玩具店やねづや玩具店へも行って大好きだったミニカーや鉄道のおもちゃ等を買ってもらったり、うつのみや書店の本店やジャーマンベーカリーや不二家でパンやお菓子を買ったりレストランで食事をしたりした思い出も片町にはあります。
 大和デパートの建物に入ると、重厚感と高貴な雰囲気に満ち溢れていたので、まるで金沢の疎開の様でもありました。
 昭和61年の秋には、旧魚半ビルの跡地周辺の再開発と言う形で「香林坊大和」が誕生移転し、その建物を利用改装する形で大和旧本店は「ラブロ片町」生まれ変わりました。
誕生当初はバブル真っ盛りであったため、多くのファッションブランドやエアロビクスやエステサロン等と言った多様多種のテナントが入っていました。開店当初は、高校生であったため、竪町へのショッピングの際には必ず立ち寄っていました。高校卒業や専門学校入学による東京への上京と共に、ラブロ片町どころか竪町片町との関わりも薄くなって行きました。それと並行するかのように、当時の「ジャスコ」や「サティ」、「アルプラザ」や「アピタ」等の大型郊外ショッピングセンターの開店ラッシュやバブル崩壊などで中心街の片町竪町に暗雲downshockが漂ってきました。
 私が東京から帰ってからは、長期の不況やドーナツ化現象、ネット社会による構造変化、金沢駅前の「金沢フォーラス」の開業などの煽りを受けてしまった恰好で、ラブロ片町のテナントは日増しに少なくなり、寂しさや昭和32年から続いている建物自体の老朽化が目立ったなあ~、と感じてきました。土曜日に閉店セールが行われていた時は、様々な物が販売されていて、そのときだけは非常に活気が溢れていましたが・・・。
 しかし、献血ルームだけは、昔から非常に賑わっていて活気に満ち溢れていました。私も何度も献血を受けにそこへ行って、お菓子を食べたり漫画や雑誌を読みまくっていましたが、武蔵が辻の旧ダイエー金沢店跡地に、3月中に開業する複合ビル「ル・キューブ金沢」へと献血ルームが移転します。ここ最近、片町竪町よりも金沢駅に近い武蔵が辻や近江町が元気が良いですね・・・scissorshappy01up
 ラブロ片町の取り壊しが始まってしまうと、古き良き金沢片町の良さが消え、同時に新たな時代の幕開けをも感じてしまいます。しかし、旧大和の建物を昭和文化の遺産として積極的に保存修復して行く形で、積極的に活用して行くべきだったなあとも思う事も・・。

 古くからの北陸最大の繁華街である、片町・竪町・香林坊界隈が頑張って、金沢全体もそれに併せてもっと元気になって欲しいと願わんばかりです!。

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2013年9月22日 (日)

大阪ドタバタ日帰り旅行(その2)

 岸和田だんじり祭りを見終えた午前11時頃、大阪市内へ行くため春木駅から南海電車に乗車しました。その頃からただでさえ曇っていた天候が徐々に雨天へと変わってしまいました。
 そんな中、大阪市内で私が訪れる最初のスポットである鶴橋商店街(鶴橋商店街振興組合HPより。)へ向かうため、新今宮駅でJR大阪環状線に乗り換えました。それに乗った直後は「東京の山手線は一周乗車した事はあるが、大阪環状線の一周乗車をした事はないのでやってみたい。そして、東京と大阪の風景を見比べてみるためにも!。」と思った程・・。しかし、雨音rainweepが一気に激しくなった事と益々昂って来る食欲に負ける形thinkで、鶴橋駅で降車。そこを降りた途端、出口が見えなかったため近鉄線構内とJR構内の間を行き来する形で迷ってしまい、そこでも降車トラブルwobbly。とにかく、広い駅の中へまでも焼肉の匂いが漂ってくる・・・・。
 結局はJR側から出る形で、商店街へと向かいました。
 昭和ロマンさえも感じる懐かしい風景にどこか癒されてしまいますよね。その中には韓国料理店・食材店・衣料品店・韓国タレントのお店等、軒を連ねて賑わっています。
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 名物の焼肉料理店街の風景。雨の中でも列を付く程の人気っぷり。
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 私は商店街の中の食材店で、牛テールスープ定食と珍味を食したり、職場への土産物のお菓子を買ったり、チヂミの立ち食いもしました。
 時間も天候みにも恵まれていたなら、更に向こうの日本最大級の韓国人街である生野コリアンタウンや近隣の玉造や生野界隈、真田山公園周辺へ行きたかったのだが・・・。今度こそは是非とも行きたいです。

 韓国料理を堪能してお腹が一杯になった後は地下鉄千日前線と中央線を乗り継いで、交通科学博物館のある弁天町へと向かいました。
 上記の両線へは初めての乗車であったため「千日前線は寂れているし、中央線は湾岸エリアへ向かうためどことなく陽気な雰囲気がある。しかし、そこも空いているだろう・・・。」とのイメージでしたが、休日のレジャーや買い物客等で混雑していたため、東京の地下鉄には殆どないコテコテとした下町人情に満ち溢れていました。
 交通科学館のある弁天町駅は大雨だったのも関わらず、祝日であった事や来年春の閉館による各種展示会の相次ぐ開催等で子供連れの親子さん達で非常に賑わっていました。
 本当は館内散策をしてから図書室で資料の閲覧して、のんびりとした大人の休日を過ごしたかったのですが・・・。図書室は土日祝日しか開いていなかった事と貴重な休みの有効利用をしたかったので、ま、仕方がなかったのかdown・・・・。
 外も中も鉄道関連を中心に、各種車両や模型、部品、資料が次々と展示されておりました。
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 鉄道関連だけではなく、航空や自動車、船舶まで、陸海空の乗り物に関するものが勢揃い・・・。
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 来年の春には大阪の交通科学館は閉館し、2016年には京都で新たに鉄道博物館が開館する予定です。同館は、東京秋葉原にあった交通博物館の閉館以後としては最後の陸海空まで広がった乗り物の総合博物館でもあるだけに、悲しさと喜びの気持ちが交錯しました。中と外に展示保存されている車両や資料の行方はどうなってしまうか非常に気になりますよね。

 激しい雨天の中、弁天町を後にして地下鉄中央線とニュートラムとの乗り継ぎで、大阪南港方面へと向かいました。写真が無くて申し訳ありませんが、周辺の環境は東京のお台場や横浜のみなとみらい地区の様に高層ビルと高層マンション、高級リゾートホテルが立ち並んでいましたが、規模も小さくて悪天候であった事からどこか殺伐とした場末のコンクリートジャングルの様相でした。晴れていれば、潮風と太陽が心地良い環境だったのに・・・・。しかし、大阪府咲島庁舎周辺だけは自慢の展望台や様々な店舗があったため、非常に賑わっていました。そこの詳細の事については、右記の青字大阪府咲洲庁舎大阪府咲洲庁舎展望台をクリックしてHPを御覧になって下さい。

  以上の様に、大阪南港の散策は関西空港開港に伴うバブルや80年代末~90年代初頭にかけてのバブル経済の遺産見物宛らでありました。今度は大阪が「天下一の商都」として賑わっていた頃の大正~昭和中期の華やかしき時代を回想しながら中之島・北浜界隈の散策をする事を決意し、地下鉄中央線と御堂筋線を乗り継いで淀屋橋駅へと向かいました。
 そこを降りたら、相当の土砂降り。古い建物や川縁の散策が出来たのは良かったのだが、靴がずぶ濡れになってしまっただけではなく、せっかく行きたかった大阪府立中之島図書館へも耐震工事による正面玄関の閉鎖で入口が見付ける事が出来ずに迷ってしまった事でそこへも入る事が出来ませんでした。
 しかし、淀屋橋からの中之島周辺の景色はなかなか良かったですよ。
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 激しい雨の中を経て、堺筋線の北浜駅からは日本一長いアーケード商店街がある天神橋筋商店街へと向かうため、天神橋筋6丁目へと行きました。
 そこを降りてからは、目の前からのアーケード街と共に非常に長いウォーキングが始まります。 
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 天神橋筋商店街についての詳細は、右記の青字天神橋筋商店会をクリックしても調べる事が出来ます。

 アーケード街の中に入ってからは、昔懐かしい街中商店街独特の下町人情に満ち溢れたロマンと懐かしさが漂いました。その上、傘もさす事無くショッピングを楽しむ事が出来ました。そこには懐かしいパチンコ屋や喫茶店・洋品店・食堂・医院・鍼灸マッサージが出来る治療院・接骨院・居酒屋・お宮さん等々・・・・。
 まさしくテーマパークそのものの雰囲気でしたよ。
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 非常に長かった天神橋筋商店街を終え、新快速と各駅停車を乗り継いで金沢までの帰宅とお土産のお買い物を目的に大阪駅へと向かいました。さすがに歩き疲れで身体はクタクタ。梅田界隈を周遊したかったのですが時間も既に無く、駅構内と近隣の大阪ステーションシティグランフロント大阪への散策に止めました。
  梅田のショッピングエリアは「大都市の東京に負けてたまるかimpactrocksign03。」との気合で、大阪駅の大改築や旧梅田貨物駅の再開発事業の一環として行われたものが殆どであったため、規模も途轍もなく広大でただでさえ複雑な大阪駅及び梅田駅周辺に拍車を掛けてしまうかの様相でした。大阪以上に複雑な東京に慣れてしまって大阪慣れしていない自分自身に対するひがみかもしれないが・・・。
 外へちょっと出た時は、激しい雨と風。そして大型台風・・・。最初は新快速と普通列車との乗り継ぎで帰ろうと思ってはいましたが、結局は疲れも相まって特急サンダーバード号で帰る事にしました。車内は座席は広く、早くて快適。しかし北陸方面へ行くに連れて天候は次第に荒れてしまいました。
 今回の大阪旅行は、余りにもの激しい天候や無計画と思える程の突発的なスケジュールも相まって非常にドタバタとしていました。その分、大阪の良さや素晴らしさ、東京一極化集中問題の解決への方法等を考えさせてくれた良い機会でもありました。
 次回は、京都や奈良、神戸に比べて地味な大阪の歴史遺産散策をして行きたいと思います!。

 
 


 


2013年9月21日 (土)

大阪ドタバタ日帰り旅行(その1)

 来年の4月6日(日)付けで、交通科学博物館が閉鎖する事や鶴橋界隈や四天王寺への参拝、中之島界隈、大阪ベイエリアの九条や大正区界隈、日本最大のアーケード商店街である天神橋筋界隈への町並み散策shoeや史跡巡りをしたかったのです。以上の様な大阪の深層部へは行った事が無かったので、前々から「是非とも大阪へ行きたいsign03。」と思っていました。
 そんな中、出発10日前のある日、職場の方から「あなたは9月15日(日曜日)に仕事の休暇となりました。」と言われ、「大阪へ行こう!。」と急に決めたのです。思い付きであった事や準備不足であったため、非常に慌しかったが・・・dash
 ワクワクドキドキの気持ちで大阪での周遊先を決めて行っている最中、天気予報で「日曜日は台風typhoonの影響で近畿地方は大雨になるでしょうrain。」と聞いてからは不安の気持ちが大きくなってしまい、思わずスマホの天気予報サイトを何回も見ました。その時にふと現れたのが「9月15日(日曜日)に、岸和田市でだんじり祭りが開催される。」との記事。それを見た途端に「岸和田のだんじり祭りは滅多に見る事は出来ないのだから、是非とも見ようscissorsup。大阪市内の散策はそれが終わってからだ!。」との気持ちに切り替わってしまいました。天候が激しく荒れるとの予報が出てしまった事から「本当に祭りが開催されるかについては、いささか不安。ま、行った所で楽しもうかhappy01。」との不安と期待の気持ちが交錯した程・・・。
 9月14日(土曜)の夜、武蔵が辻バス停から夜行高速バスbus(北陸ドリーム大阪号)に乗車し、大阪へと向かいました。車内は若者でごった返しており、中高年齢層の方々は殆どいませんでした。仕事疲れ解消のため寝ようとはしましたが、殆ど眠れずwobblyカーテンの隙間から車窓を眺めながらのバス旅行となってしまいました。
 翌朝、大阪駅のJR高速バスターミナルに朝6時頃に到着。全国各地からの到着バスで賑わっており、百花総覧の如く様々なバス車体とカラーで彩られていた程、見惚れてしまいました。
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 大阪駅を中心とした梅田界隈の余りにもの変わり様に驚きながら、大阪ステーションシティやグランフロント大阪周辺を散策しながら、岸和田だんじり祭りの見物のため難波で南海電車に乗り継ぐために、地下鉄の駅へと向かいました・・・。
難波までの地下鉄乗車までの際、分かりやすい御堂筋線にしようか一度は乗ってみたい四つ橋線にしようか迷ってしまい、その余りに乗車手続きのトラブル等で戸惑ってしまいました。結局は、四つ橋線に乗車。そこの車内は空いていて閑散としており、まるで時が止まったかの様・・・・。乗車地の西梅田にしても降車地の難波にしてもJR大阪駅や阪急の梅田駅、南海の難波駅からも非常に遠く、日ごろの運動不足に悩む自分自身にとってはかなり歩いたので痛恨・・・。
難波からは南海本線の急行電車に乗車し、東京在住時代によく利用していた京成電鉄の下町人情を懐かしみ工場と倉庫が続く湾岸エリアの風景を見ながら、岸和田だんじり祭りの会場の最寄り駅である春木へと向かいました。
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 春木駅周辺は提灯が飾られ、すぐそこのラパーク岸和田の駐車場には出店が並び、本宮曳き会場である春木神社までの道沿いには本番の準備のため、神輿がぼちぼちと出ていました。曇天の中、天候の無事と祭り開催の成功と無事を祈りながら、春木神社へと向かいました。
 そこは、朝も早くから本宮曳き見物客で混雑しており、老若男女関係なく立ち並んでいました。それだけ、迫力のある動きが見たいのでしょうね・・・。
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 春木神社への本宮曳き後のパレードも迫力満点annoyでした。

 私自身が今まで見てきた多くの祭りの中では、単に「速い!。強い!。」だけの当に「男息が掛った、究極の祭り。」レベルでは止まらず、今回の岸和田だんじり祭りは「風林火山」の精神もがしっかりと息付いたものだと感じました。
 私も過去に東京在住時代に墨田区の秋葉神社での神輿担ぎに参加した事があり、「もう一度神輿担ぎをしたい!。しかし、地域に馴染み生きてゆく男の責任感の重さをも感じてしまう。」との神輿担ぎに対する複雑な気持ちに掻き立てられました。それだけに、祭りの神輿担ぎは単なる格好付けのレベルだけでは済まされないですよね・・・。

 11時頃にはだんじり祭りのピークを過ぎ、一区切りを付けた事もあって次の目的地の日本最大の韓国人街で有名な大阪市の鶴橋商店街へと向かいましたtrain
 続きは、その2で・・・。

2012年8月18日 (土)

のんびり奥能登ドライブ(珠洲市編 その②)

 能登半島の最果てを目指し、旧蛸島駅を出発してから熱い炎天下の下を少し走って行くと、リフレッシュ村鉢ヶ崎が見えましたwave。そこでウォーキングshoeかジョギングrunをしようと思ってその用意を持って行ったが、余りの暑さに耐えられなかったので出来ずじまいに終わった事downや携帯カメラ撮影cameraも電池や容量の関係上、非常に悔しい思いwobblydown。しかし、海風と木々の緑がその様な気持ちを吹き飛ばしてくれてスッキリしました。
 珠洲市で賑やかなのはこの辺りまでで、県都金沢とを行き来するバスがそこで発着しています。肝心の観光地である狼煙や木ノ浦までは行ってません。そこから先は、時間の流れが非常にゆっくりで自然豊かな「田舎」です。夏の青空の下で右手には「海」、左手は「丘や山」を望みながらの車の運転は正に「クルージング」でした。
リフレッシュ村鉢ヶ崎についての詳しい事は、リフレッシュ村鉢ヶ崎をご覧になって下さい。
 途中で思わずびっくりする光景を目の当たりにしましたので、少ない電池量と保存可能な量を覚悟して撮影しちゃいました。
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 前々から、珠洲市は「日本の中心地」であると言う事を知ってはいましたが、その標識が珠洲市立みさき小学校にあるなんて驚きですよねsign02・・・。

 またもや写真は撮れませんでしたがweep、須須神社へ参拝しました。神社を参拝すると言う事は、日常生活などで掻き乱れてしまった心のけがれを打ち払う事が出来て、これで身も心もすっきりsmile。参道の木々の緑は、ヤブニッケイなどの暖温帯の照葉樹林xmasで成り立っています。そこに入ると、厳しい暑さも忘れてしまう程でしたhappy01。そこは、三崎権現とも呼ばれた神社で、東北鬼門日本海の守護神としてあまねく信仰され、災難除けや縁結びの神様だけでなく、源義経の伝説でも名高い神社です。
 歴史も古く、第十代崇神天皇(約二〇〇〇年前)の御代能登半島最東北端の山伏山(鈴ケ嶽)の頂上に創建され、天平勝宝年間に現在の地に遷座したとされています。
 更に詳しい事については、須須神社 高座宮(玄松子の記録から)須須神社(ウィキペディアから)をご覧になって下さい。

 能登半島の最先端である「禄剛埼」を目指し、思いを馳せながら峠道を走っていると途中で「聖域の岬」への案内表示があったので、そこへ寄る事としました。入口はまるで田舎の小路で、主要観光地へのアクセス道路とは思えない程狭い田園風景・・・。しばらくすると砂漠の中の楽園「オアシス」の如く、大きな駐車場と売店、展望台が見えました。Photo_7
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 聖域の岬は、石川県珠洲市寺家にあり正式名称は「珠洲岬」で、能登半島の先端に位置しています。 無気流地帯といわれ、静岡県と山梨県に位置する「富士山」、長野県に位置する「分杭峠」と共に日本三大パワースポットの1つとされています。それだけに、パワースポットブームのお陰もあってか、非常に賑っていました。Photo_6そこから見える風景は天下一品shinegood。展望台はあったものの、300円を払ってまでそこまで行く必要は無かった程でしたよ。ただ、真下に見える大人気の高級温泉旅館「葭が浦温泉 ランプの宿」は、日帰り客を受け付ける事が出来ないためにそこへの道路が宿泊客以外立ち入り禁止となっているのが非常に残念・・・・cryingdown。いつかは行きたいなあ。
 聖域の岬の詳細については、日本三大パワースポット 聖域の岬または日本のパワースポット100選を、ランプの宿の詳細については、葭が浦温泉 ランプの宿
をそれぞれご覧になって下さい。

元の道に戻り峠道を降りて行くと、能登半島最果ての集落である狼煙に到着しました。昔は旅情ロマンを味わせた最果ての観光拠点として、定期観光バスや路線バスが多数あって非常に賑っていましたが、今はそこへ行く定期バスの本数は少なく、それどころか立ち寄る定期観光バスもなくて華やかな時代の面影は殆どありませんでした。大型駐車場のあるドライブインは、今や道の駅狼煙となっています。
 約20年振りに禄剛埼灯台へウォーキングを兼ねた観光周遊へ行きましたが、夏の暑い炎天下や久し振りに歩いた坂道、そして四十路となってしまった体力の低下等でもうへとへと・・・bearingdownPhoto_17
 禄剛埼は、古くから日本海を航行する船舶の安全を図るための重要な岬であったため、灯台の整備がなされていました。それだけに、白亜のその建物は非常に貫禄があります。また、晴れた日には北アルプスや佐渡島等の遠望も出来るみたいですよ。そこから木ノ浦海岸への遊歩道もあり、本格的なハイキングにも持って来いの環境です。能登半島の海岸や地域は波の荒い「外浦」と波の静かな「内浦」との境界で、先程のみさき小学校や聖域の岬同様「日本の中心地」です。Photo_10今までは「北の国」と言うイメージしか無かったのだが・・・。
 そこから坂を下ると、途中で黒い瓦と青い海の中にある漁港、緑あふれる里山が美しい狼煙の街並みが見えました。Photo_12いつまでもこの様な風景を残して欲しいですね。
 道の駅狼煙についての詳細は交流施設狼煙(道の駅 狼煙)を、禄剛埼およびそこの灯台についての詳細は禄剛埼(ウィキペディアから)禄剛埼灯台(ウィキペディアから)をそれぞれご覧になって下さい。

 狼煙から母の実家のある穴水への帰路は、外浦経由で帰る事にしました。そこを出てからしばらくすると面白い光景に遭遇しました。Photo_13
 何とも言えないほど、面白い光景。実は、かかしコンテストなんです。この様にして、過疎に悩む地域の活性化が出来ると良いですねup
 外浦の海が見えると、波が静かでコンパクトな感じだった内浦海岸とは一変し、非常に大らかで豪快な風景に変わりました。特に海中公園や椿の自生地で有名な木ノ浦海岸(実質上の能登半島最北端)周辺やラケット道路は、道が狭く自然環境も野性的かつ原始的でした。時間の進み方もゆっくりで素朴であったが、内浦のそれとは違った感じでした。Photo_16
 私が高校時代に、母方の弟である叔父に連れてってもらう形でそこで貝獲りをした事があり、懐かしい思い出もあります。とにかく、そこで獲った貝類は美味しくて最高でした。

 途中で、ゴジラ岩等の新しい観光名所もあり、立ち寄る事が出来なくて残念な思いもありましたが、野性的な風景の外浦海岸を更に西へ進んで行くと、全国的にも珍しい揚げ浜塩田の作業風景を見る事が出来ました。今までに見た揚げ浜塩田は人影がいないのが殆どだったため、温かい人情と職人魂のオーラが車を運転している私にまで感じて来ました。Photo_15
 道の駅すず塩田村へは今回立ち寄りませんでしたが、そこのホームページには「揚げ浜塩田」についての詳細も記されています。道の駅 すず塩田村
 
 そこを過ぎ、海に直接落ちる滝として有名な「垂水の滝」を過ぎるとそこはもう曽々木海岸や白米の千枚田、輪島塗、総持寺で有名な輪島市です。夕刻に迫り、親戚宅へ帰らなければならなかったためdash、そこへは立ち寄らず旧柳田村と珠洲道路経由で穴水へ戻りました。

 丁度、私の誕生日cakeと重なっていたため、自分自身に対する大きなご褒美でもあったと感じた程、奥能登の素朴な風景と人情を味わい「昔ながらの奥能登」と「現在の奥能登」を見ながら、「これからの地域活性化のあり方」について学ぶ事や楽しむ事が出来て良かったと感じています。

2012年8月17日 (金)

のんびり奥能登ドライブ(珠洲市編 その①)

 恋路海岸を過ぎ、奥能登の名酒「宗玄酒造」の本社が見えると、珠洲市です。
 いよいよ旧のと鉄道能登線跡地巡りもクライマックス。同時に時間が経つに連れて暑さも酷くなりましたsunwobbly
 珠洲市の観光や祭り等についての詳細は、すず観光ナビネットをご覧になって下さいね。
 そんな中、恋路海岸や九十九湾と並ぶ能登内浦海岸の代表的な観光地である、見附島へ行きました。
 昔にそこへ行った事があり「昔と比べて浸食ないし風化してやせ細った。」との噂がここ最近あるみたいですが、私の目から見ると、多くの人達が噂している程そんなに酷くなっていませんでしたsmilePhoto_18
 むしろ、静かな海に浮かぶ巨大な姿には、荘厳さを感じますね。
 
 終点の旧蛸島駅を目指して集落や商店街を駆け抜けながら旧国道249号線を進んで行くと、旧珠洲駅に辿り着きました。そこは、観光総合ターミナルの「道の駅 すずなり」になり、大型バスターミナルとしての機能をも果たしています。国鉄時代から、急行「能登路(金沢~輪島・珠洲・蛸島)」や「奥能登→ゆのくに(大阪~輪島・珠洲)」や普通など、能登線を運行していた殆どの列車が珠洲駅発着と言う形での折り返しであっただけに、駅としての規模も立派なものでした。
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 プラットホームとそこの表示板が、鉄道駅時代の名残を感じさせますね。今にも気動車やレールバスの汽笛が響きそうな位・・・・。
 能登線が廃止されずに残って欲しかったのに。
 そこの詳細については、経営しているNPO法人の公式ホームページNPO法人 能登すずなり(珠洲市観光協会)又は、ウィキペディア道の駅すずなりからでも調べられます。

 そこを出て、漁村と農村とが合わさった田舎の素朴な風景を見ながら更に東の方へ進んで行くと、ついに旧能登線の終着駅である蛸島駅に到着しました。金沢駅からは約160キロ、起点の穴水駅からは約60キロに位置し、可愛らしい駅舎が特徴でしたよ。
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 能登半島の最果てに近い駅の割に、終着駅に見られる寂しさweepは殆ど感じられず、むしろ明るかったhappy01です。金沢とを行き来する高速バスが走っているためなのか、それともまだまだ向こうに「鉢ヶ崎リゾート」や「聖域の岬」、「葭が浦温泉 ランプの宿」、「禄剛岬」、「木ノ浦海岸」があるからだろうか?。その理由は、何とも言えない・・・dashsign02Photo_24

旧蛸島駅の到着を以てして、旧のと鉄道能登線跡地の散策及び追跡の旅はここで終了papersign03。 しかし、能登半島最果ての地たる「禄剛岬」まではあと16キロ。これからはそこを目指し、更なる旅路が始まりますfoot
 続きは、珠洲市編その②で・・・。  


2012年8月15日 (水)

のんびり奥能登ドライブ(能登町編 その②)

 旧宇出津駅から静かな海と昔ながらの漁村での悠久の時を味わいながら、真脇や小木経由で松波方面へ向かって東進して行くcarと、日本有数の先史時代の遺跡となった真脇遺跡に辿り着きました。
 真脇遺跡は、約6000~2000年前までの縄文時代前半~末期までの約4000年間も栄えた、イルカ漁を中心とした狩猟採集の集落跡の遺跡です。Photo_6
 
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     そこからは大量のイルカの骨だけではなく、玉器・土器・仮面・環状木柱列・旧道墓地も見つかった事から、一地域における東北地方や中部地方との交易の中心地だったと想像が出来るみたいです。真脇遺跡の詳細については、当ホームページ真脇遺跡をご覧になって下さいね。
 
 古代ロマンに浸ってから後で、車を運転をして行くうちに太陽からの日差しと暑さだけでなく、お腹も空いて来ました。とにかくお腹が空いたので「街中の能登丼を食べようかそれとも・・・。」と悩んでいるうちに地ビール工房beerと牧場horseでで有名なレストラン「ビアレストランHeart & Beer日本海倶楽部」へ寄る事に・・・。

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 日本海倶楽部は白山市に本部を置き、主に知的障害者を対象とした社会福祉法人「佛子園」が経営し、地域のグループホームや在宅支援や相談支援施設をも兼ね備えた障害者支援施設でもあり、就労支援をも兼ねています。
 その他、金沢市やその近郊の野々市市、能美市、小松市でもほぼ同様の施設があります。
 単なる地域社会の知的障害者福祉や就労だけでなく、サービス業と言う形で地域の観光産業の振興にも貢献しているのですね。今まで私が抱いていた「知的障害者の就労=第一次産業又は第二次産業」の固定観念に捉われていません。この様な事業所が石川県内にどんどん増えて欲しいですね・・・・。そこで飼育されているエミューを見る事も撮影する事も出来ず残念でしたが、そこからの内浦海岸の眺望と言い、美味しかった料理と言い、申し分はありません。あとは、そこにホテルがあればいいのになぁ・・・。詳しくはHeart&Beer日本海倶楽部と、社会福祉法人 佛子園のホームページをご覧になって下さい。
 そこを出ると暫くの間は日本海を望む丘の上の畑が続き、何とも爽やかでした。珠洲方面に車を向かって走り、国道249号線と合流すると旧内浦町の中心地である松波に到着。更に旧国道を海沿いに走って行くと、珠洲はもう間近。そこは廃線後でも高い人気を誇る駅舎と悲恋伝説で名高い恋路海岸に到着。非常に暑かったため海水浴客はいたものの、人影はまばらで、珠洲市内や見附島が望めて何とも風光明美でした。詳しい事は、ウィキペディアからですが、恋路海岸から調べる事が出来ます。Photo_11
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 今にも気動車が走りそうtraindashdelicious。本当に走って欲しい位!。Photo_8Photo_13


 そこを出ると、もうそこは珠洲市・・・・。
 続きは(珠洲市編 その①)で述べて行く事にします。

 

 

2012年8月14日 (火)

のんびり奥能登ドライブ(能登町編 その①)

 真夏の熱い太陽sunの下能登路の海waveと緑xmasの風を浴びながら、旧のと鉄道能登線に沿って車carを走って行き、国道249号線に再び合流した所で能登町に入りました。 
    能登町は、宇出津あばれ祭り(巨大な灯篭である『キリコ』を使用)で名高い「能都町」、名勝九十九湾と恋路海岸がある「内浦町」、奥能登丘陵の中央に位置する「柳田村」とが、2005年に合併して誕生した町です。過疎化による人口流出が続いているものの、山紫水明の美しい自然と昔ながらの優しくて素朴な人情に恵まれた環境が自慢です。Photo_11 能登町の観光や祭りについては、能登町役場又は能登町観光協会をご覧ください。

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   それを出迎えるかの様に、旧鵜川駅が見えたのです。
 旧鵜川駅舎玄関の扉上ののと鉄道利用促進PRの看板が掲示板と駅前広場ににあるバス停、構内跡地の夏草に覆われたホームが当時の鉄道全盛期の賑わいを思い起こさせ、私の脳裏の中で汽笛と人の行き交う声が幻聴の如く聞えました。懐かしさと悲しさが同時に込み上げて、自分自身の心を泣かせてしまいました・・・weep
 更に国道249号線を宇出津方面へ東進して行くと、山里の緑の風景から一変、再び海の風景へ・・・・。更なる向こうの珠洲方面へと急いでいたため、三波地域のビューポイントやパンの名店である「フラット・ベーカリー&カフェ」を逃してしまい残念・・・・。
 走行しているうちに宇出津の町に到着し、リアス式海岸の港町独特のコンパクトな地形に建物のびっしりと纏っていました。その宇出津駅は、昔は国鉄時代からの能登線の、今は地域のバス路線の大拠点として機能を果たしています。ただ、朽ちた線路跡とホーム、多くのバスが切なさを感じさせてしまいました。

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 旧宇出津駅を出発すると、旧のと鉄道能登線跡地散策も後半に入り、そこからは家々が山裾にまで立ち並んでいる港町の風景や城跡のある遠島山公園等の美しい内浦海岸の風景を眺めながら、真脇や小木を経由して旧松波駅へと向かいます。続きは、能登町編その②で詳しく述べる事にします。

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2012年8月10日 (金)

のんびり奥能登ドライブ(穴水町編)

 去る8月2〜5日に掛けて、体調不良やボランティア等で忙しい母の分をも担う形で、母の実家のある穴水町へ墓参りに行きました。墓参りに行ったのは良かったものの、ろうそくや線香を持って行ったのだが肝心の花束を買い忘れてしまいました。母の姉方である叔母から花を貰ってしまったハプニングを起こし「大人としての常識だけでなく、御先祖様に対して無礼な事をしてしまった。申し訳ありませんweep。」との反省の気持ちで一杯で、自分自身を責めてしまった程だったのです。
 親戚宅に二泊三日の日程だったので、前々から「能登半島の最果ての地たる、珠洲へ行きたい。そこでランプの宿を見たい。そして、廃線となったのと鉄道trainの跡地を巡りたいsign03。」との気持ちが日に日に昂って行きました。
 普通ならば、金沢等の遠隔地域は勿論、穴水町以南の能登中南部各地と奥能登各地とを車carで行き来する時は、殆どが能登有料道路と珠洲道路を使いますよね。
 二日目の朝、最大の目的である親戚の墓参りを済ませてから禄剛岬を目指す恰好で、のと鉄道廃線跡地周遊を決めたのです。鉄道や旧道巡り(険しい道は好きではないが・・・・wobbly)が好きな私にとってみれば、最も楽しい事であり同時に過酷な事かも知れない・・・。
 先ずは「まいもんの里」として地域興しに気合を入れている穴水町が、新たな特産品として開発した「のとワイン」の工場へ立ち寄りました。早朝であったため、まだ工場は稼働していなかったものの、ブドウ畑と乾草の牧歌的風景には圧巻しました。しかし、のとワインジェラートが食べれて良かったものの、肝心のワインの試飲wineや購入(車を運転しているから仕方が無いか・・・downsweat02。)や写真撮影が出来なくて残念無念・・・。
 そこを出てから、山里道に迷いに迷い森林浴とを兼ねる形で、ようやくのと鉄道甲駅周辺に辿り着きました。Photo_3周辺の田畑や里山の風景に溶け込まれた恰好の風景は、何所か懐かしさと夢と希望、そして寂しさとが混ざり合ってしまった程。Photo_6
何時か鉄路をのんびりと走るレールバスや蒸気機関車がもう一度走れたらなあ・・・・、と想像するばかり。
 旧甲駅を出てからは、鵜川〜宇出津〜真脇〜松波〜珠洲〜蛸島の各駅を目指して行くうちに、真夏の青空と太陽の下で美しく輝いた内浦海岸の海とその風、懐かしい昭和ロマンに浸りながらの黒瓦と黒壁の家々が続く街並み・・・。とにかく、日常では味わえない悠久の風景と時が只々と過ぎて行く。Photo_4
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そこを走って行くうちに、能登線開業直後に起こったとの伝説がある「能登観光ブーム」の遺構で、完全に廃墟となってしまった旧能登かつら崎ユースホステルもあり、能登線の全盛期を思い起こさせました。
 

   途中で何度も道に迷い、沿道の住民に方向を聞きながら、狭くて複雑な道程でありながらものどかで美しい漁村の町並みと青い海をバックにして東の方へ向って進んで行くうちに、能登町鵜川へと辿り着きました。
   詳しい事は、能登町編で述べて行きます。

(追伸)能登ワインのURL http://www.notowine.com/

    穴水町観光情報のURL
      http://www.town.anamizu.ishikawa.jp/anamizu/anamizu_kanko/kanko_top.jsp
    
    のと鉄道の公式URL http://www.incl.ne.jp/ntr/
    
    のと鉄道のウィキペディアによるURL
     http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%AE%E3%81%A8%E9%89%84%E9%81%93

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