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2017年8月15日 (火)

終戦記念日・・・

 8月15日は玉音放送を通して、国民に日本の降伏を公表した日で、この日を「終戦記念日」と制定した。これ以降、戦没者やその慰霊を追悼している。
 昭和20年の連合国に対する無条件降伏から72年が経ち、当時の状況を生々しく体験した当事者達は勿論の事、忌まわしい戦災や戦場、戦時統制、旧植民地や当時の開拓地での生活やこれ等から来す教訓を受け継ぐ伝承や記録、記憶が日が経つに連れて、薄くなって来てしまっているのが現状だ・・・。

 この様な状況から立ち直り、新たな国造りを目指そうと、当時の多くの日本人達は平和と不戦を願い、新たな憲法「日本国憲法」が1947年に制定されるに至った。

 戦後の米ソ冷戦とその終結、未だに続く朝鮮半島の南北分断、益々混沌として行く近隣諸国との領土及び歴史認識に絡む感情的な対立、北朝鮮の核及びミサイル開発、欧米諸国の緩やかな衰退と中露両国の台頭、靖国参拝やA級戦犯の分祀と新たな戦没者施設建設の構想、日本の軍事的独立と言う名の下による集団的自衛権や防衛力の強化、憲法改正と言う問題等々、多くの問題が生まれては消え去ると言う歴史が、今なお続いている・・・。

 以上の様な状況が繰り返されたり続いたりしている中でも、当時の日本が犯した過ちとそこから生まれた教訓を見て知って聞いて学び、しっかりと反省し、その事を忘却する事無く永久に伝承し続けなければならない。

 この様な戦争で犠牲となった方々へのご冥福をお祈り申し上げます。そして、永遠の平和を願って止みません。

 

2017年6月29日 (木)

バニラエアでの車椅子騒動について思う事・・・・

 昨日のニュースで「鹿児島県の奄美空港で、脊椎損傷による半身不随を抱えた男性に対して、階段式のタラップを腕の力で以てして自力で歩かせられていた。それで、格安航空会社(以下、LCCと表記)のバニラ・エアがその件に関して謝罪をした。」との報道があった。

 その出来事を知った直後の私の気持ちは「この航空会社は何をやっているんだ!。障碍者差別禁止法に違反しているのではないのか。この航空会社の運航便は永久に使わない!」や「LCCはコスト削減のため、レガシーキャリアで当たり前に行われている様々なサービスを行っていないのは仕方が無い。だからと言って、人としての当たり前の常識や道徳による、おもてなしまでカットするのは如何なものか・・・!。せめて『ハードシステムが無いは無い。』なりの知恵を絞った上での、工夫をすればよかったのに。社会的身体的精神的弱者やマイナリティーに対する思いやりが、欠如している。」と、声を荒げてしまった程だった。

 同時に、このニュースについての感想や意見をSNSやインターネットサーフィンを閲覧したり観賞したりしていると、「自力で歩かされた障碍者は可哀そうだ。」や「バニラ・エアと言うLCCは、非常識。」、更には「バリアフリー研究所を経営している障碍当事者は、モンスタークレーマーだ。」や「最初から、バニラ・エアに『私は障害を持っていますので、乗降の際には手助け下さい。お願いします。』と言えば良かったのに。」とか、「障碍者のサービスが全く無いLCCを使わず、最初からANAやJALを使えば良かったのに・・・。」との形で、障碍当事者やLCCに対する意見や思いが肯定的なものだったり、否定的だったりしたものでごちゃごちゃであった事に驚く。
 「まさか、障碍者を侮蔑差別唾棄と言う形で、悪者扱いする連中もいるのだな・・・。」と言う形で・・・。

 話は戻ってしまって、障碍当事者の想像や憶測、妄想の域となる形となり、申し訳ないと思っている。
 この様な出来事が起こってしまった原因を、私的な意見で取り上げる事とする。
 ①最初から「自分は障碍者です。」との形でカムアウトしてしまうと、自分自身の様な障碍   者を受け付けてくれない場合もある。また、他の人に言ってしまうと社会的に不利になるのだから、不安で言えなかった。
 ②日本のバリアフリーは、設備等と言ったハード面では整備されていて優れている。しかし、国民一人一人の気配りや思い遣りと言ったソフト面では他の国々と比べて遅れている。その上、マイナリティーや障碍当事者とをも組み入れた「インクルージョン」やそれらに対する受付体制が出来ていないなってかつ不得手だし、人権意識と言ったものも遅れているのではないのか。
 ③日本を含めた多くの東アジア諸国は、古くからの中華思想に基づいた縦社会や親社会、そしてボス社会。その上、今や日本は国際交通機関や国際情報網の発達発展、そして普及によって「シマグニ」では無くなって来ている。それなのに、昔からの「座敷牢と言う形でマイナリティーを排除する」や「出る杭は打たれる」と言ったムラ社会の悪しき部分が残っているのではないのか?。それじゃ、可笑しいよ。
 ④「障碍者と健常者の垣根は無い。それらの有無は全く関係ない。」との形で、心のバリアフリーが浸透したのはうれしいし、そう思ってくれてうれしい。しかし、それが故の副作用が「意見や意思の強く、思考能力や柔軟性の高い人が勝つ。」や「高いコミュニケーション能力や広い人脈を持った人が有利。」との弱肉強食の論理に基づいてしまった形で現れてしまい、新たな問題となってしまった。だから、それが嫌だし不安だ。
 ⑤日本のバリアフリーや障碍者福祉は、0%か100%。だから、その中間のグレーソーンに対しては、対応出来ていない。道徳教育だけではなく、福祉や性、人権意識に関する教育をもっと普及して欲しい。

 上記の様な事以外の理由を述べたかったのですが、余りにも膨大で複雑繁多なので①~⑤までと言う形となってしまいました。

 更に話は変わって、最後ではあるが「表には見えない障碍や疾患を抱えた当事者達」やその親御さん、支援者にとっての嬉しい情報が入った。それはヘルプマークなのだ。赤い名札の様なものに白いハートと十字が描かれ、その中には障碍又は疾患を抱えた当事者本人の特徴や特性、疾患を記載するためのメモ紙が用意されているので、目で見える形での意思表示が出来るので安心だ。

 何故ならば、障がいが身体の表面に現れる事が少ないか若しくは殆ど無いからだ。その上「外観では普通。しかし、中身を調べたり、長く付き合ったり関わって行くに連れて『おかしいよ。』や『変だよ。』。」とあしらわれ続けたが故、当事者本人は勿論、親御さん、御家族、御親戚などを中心に誤解と偏見、無理解、言われ無き批判や非難などに苦しめられ続けて来た。だから、上記に関係している方々にとってみれば「安心と正しい理解への細やかな一歩。」だと思う。

 これの普及は、東京都のみとなっているが、一日でも早く全国に普及して欲しいものだ。発達障碍や精神障碍、知的障碍、臓器障碍を抱えた当事者さん達や親御さん、その支援者、更には社会全体の平和と幸せのために・・・・。

 

 
 

2017年4月12日 (水)

「きく」と言う事について・・・

 今日の朝活の講演内容が、キャリアカウンセラー及び心理カウンセラーである外山正明先生による、「心の声を聴く~傾聴の意味と技法~」でしたので、久し振りに早朝起床をしたと共に、それへと参加しました。

 主な話の内容は「きく」と言う事で、私たちが一般に知られているのが「聞く(hear)」と「聴く(listen)」した。

 私の場合は、鍼灸マッサージを取り扱っているセラピストとしての仕事や障碍福祉を中心とした関係のボランティア活動へ長きにわたって携わっているので、医療と福祉に関する技術や知識、経験が大事だが、人を相手にするが故に円滑で温かいコミュニケーション能力も必要不可欠なのです。
 会話は決して得意ではないのにも拘らず、非常に悩ましい所なのだが・・・・。
 だから、この様な問題解決をしながら、如何にしてコミュニケーション能力を高めたり進化と変化をして行かねばならないと思い、長年の間にわたって試行錯誤を繰り返して行ったのです。

 こうして「聞き上手」にならなければならないと、自分自身で悟りました。
 
 今回の外山先生の講演に参加して『きく』という意味には、『聞く』と『聴く』だけではなく、尋問と言う意味での『訊く(ask)』がある。これらが上手く活用される事により、最終的には自分と相手の心が分かち合えて機能すると言う形で『効く・利く(act 、work)』と言う意味ある。」と言う事を改めて悟る事ができました。
 鍼灸マッサージの施術時に於ける診断要綱の基本論理が「望(望診及び視診)・問(問診)・聞(聴診)・切(触診)」である事から、この基本論理を更に理解進化しつつ、以上の様な「きく」と言う事によって、クライアント側の本心に興味や好意を持ち、上から目線でかつ自分自身の経験や論理に基づいた知識の過剰な押し付けやひけらかしをしてはいけないのです。
 これでは却って、患者様側がドン引きするばかりか、我々よりも患者様側の方が危機意識や健康医学的な知識が高い場合が多いが故に起こる相互間の不信感や不快感を持たれてしまう恐れがあるからなのです。

 だから、この様な深層心理をゆっくり焦らず根気良く丁寧に汲み取って行かないといけないし、技術の向上や改善だけではなく意識も継続も重要だからです。
この事が「慣れ」と「熟練と言う意味での『熟れ』」への早道であり、正しく美しい形成への経路なのです。

 今日の外山先生の講演による朝活に参加した事によって、この事を仕事だけではなく、日常生活へも応用して行かねばならないし、この事を感謝しなければなりません

2017年3月11日 (土)

教育勅語について思う事・・・

 森友学園による系列の小学校の設立時における不祥事で、会長職を辞任した籠池氏が経営している幼稚園の園児に対する暗唱や大日本帝国時代の教育基本方針の賛美を主張した稲田防衛大臣が、野党から厳しい批判を浴びたり、菅官房長官が彼女を擁護したと言う出来事のためなのか、ここ最近教育勅語が自分自身の心の中で気になって行った。

 「教育勅語」とは、大日本帝国憲法の成立と施行が終わった直後の1890年に制定された、当時の学校教育の基本方針で、これらに関する政治の基本理念となっていた。全体的には12個の項目なら成り立っている。
 終戦直後になると、現在の日本国憲法が制定された事によって、それ自体が廃止されたのである。
 
 しかし、ここ最近の世界中の右傾化の流れによる影響下で、グローバリゼーションが批判のやり玉にあがり、世界的なリベラル勢力の衰退や排外的かつ内向的な民族主義の増長などの影響によって、日本会議などを中心とした保守勢力が「教育勅語を見直して、日本らしさを強く主張して行こう。教育現場において。」の主張を強めて行く様になって行った。
 
 私も、この教育勅語については「当時の天皇と大日本帝国政府による、教育関連の勅令」である事しか解らなかったので、HP等で閲覧する事とした。
 この事から、第12項目については「国に危機が迫ったなら国のため力を尽くし、それにより永遠の皇国を支えましょう」なので、「私たち国民は国家のために尽力ないし奉仕し、それによって国家を支えよう」と言う、滅私奉公の基本理念である。
 
これらは学校生活に関する事だけではなく、むしろ生涯生活における基本的道徳の理念でもあると言う事が解った。
 特にこれが、教育勅語肯定派視点から見れば「地域社会への貢献と奉仕の義務とそして地域社会に対する愛への涵養と愛育促進。」であるとし、教育勅語否定派視点から見ると「国家主義に基づいた愛国心教育の強要と押し付けの基本的理念。」であるとしているのであろうと、私には想像が付く。

 何故、この事が問題になってしまったのは、日本の護憲勢力やリベラル勢力、更には中国や韓国などの近隣諸国を中心とした海外からも「この『教育勅語』によって、当時の大日本帝国の軍国主義を増長させてしまい、取り返しの付かない戦争へと追いやってしまった。」や「『教育勅語』を復活させる事で、現在の『基本的人権の尊重や自由主義や民主主義』に基づいた、日本国憲法を抹殺してしまう。」、「子供たちへの教育が強制と言う形になってしまう。国民や子供主体から、国家主体となってしまうから絶対にダメだ。」との批判や懸念の言動が頻発しているからである。
 以上の事から、それに対する批判勢力が特に標的にしている項目が、「滅私奉公と当時の皇国第一主義」を強く主張している、教育勅語第12項目なのである。

 この様な事から、私には「教育勅語には、良い所と今の時代の政治に合わない問題点も双方多々ある。しかし、安易に否定されたり肯定されてしまうと、様々な問題が起こったり、古今東西関係なく日本の社会や日本人の精神構造に対して様々な混乱が起こってしまう。『温故知新』の精神で以てして、現代社会の自由民主主義の政治環境と上手く融合させ、かつ近隣諸国を中心とした世界各地に誤解と不快を与えない様な形にして行かないと駄目だ。そうでないと、昔から根付いている『教育勅語』の古き佳き精神や道徳も、現代の『基本的人権の尊重や思想や表現と言論の自由、主権在民、平和主義に基づいた防衛外交方針に基づいた日本国憲法』の精神も共倒れになってしまう。こういう事にはなってはいけない。あってはならない。」や「この様な論争や混乱が収まって欲しい。国民と政府が協力し合う形で何とかならないのか。」と、思えてくるのだ・・・。
 
 
 

2017年2月17日 (金)

七転び八起き

 病院から退院して、早くも一月半が経ってしまった。
 手術を受けた側の右側の膝だけでなく、反対側の健側である方の左側のそれも痛くて、お互いに庇い合っている状況である。
 母は町内会や入院している母方の姉の看病等で、老体に鞭を打って何とか熟している状況。どうしても足らぬ所については、家事や体力労働を中心に慢性腰痛や激しい膝痛をコントロールしながらの状況で熟しているのだ。寒い冬の季節は、身体の保温のメンテナンスがとにかく大変だ。
 その様な状況の中、私は仕事の現場に復帰しており、今の所では私が患者様から精神面・身体面等で教えられる事が非常に多く、そちらからの恩恵を受けさせて頂いて非常に嬉しい気持ちで感謝している。
 私自身の鍼灸マッサージ師としての生活は、もう直ぐで20年を迎えようとしている。患者さんや同じ職場の同僚や先輩、後輩などから喜ばれたり頼られたりする事も多かったが、その一方ではそちらから叱責されたり、苦情を受けたり、中傷誹謗唾棄されたりする事も非常に多かった。
 コミュニケーション能力が決して得意とは言えない私自身にとっては、正に「七転び八起き」の人生でもあった。
 ミドルフォーティーの私も、あと数年したら五十路。正に人生の総決算とも言える時期ももう直ぐだ。
 これからは、失敗を恐れたり嘆いたり、成功に溺れたり甘えたりする事無く、失敗体験を確りと学ぶ事を繰り返して熟成して行かねばならない・・・。
 その様な事が、成功と熟成への早道ないし近道であるのだから・・・。

2016年12月29日 (木)

今年一年の振り返り。そして、近況。

 2016年が残り数日で終焉。もうすぐで2017年。
 干支も申から酉へ。森の中の猿が去ろうとし、鶏を暖かく迎えている情況です。
 私にとっての一年間は、とにかく健康や身体に気を遣ったものでした。2月にはインフルエンザで半月強も仕事が出来なくなり、10月末から来年の正月明けまで、左膝関節靭帯断裂の手術とリハビリで入院しています。
 その一方では、今年の春から在宅鍼灸マッサージに専念する事となったため、様々な勉強会や地域ボランティアに参加を通した新しい知識の獲得や、様々な人達との触れ合いが出来るようになりました。
 当初の入院生活は、かなりの激痛で周囲の医師や看護師、理学療法師を怒らせたり悩ませたりannoysweat02、自分自身においては孤独感や虚脱感に悩まされはしましたがbearing、入院先のスタッフや友人知人、そちらで知り合った患者さんからの暖かい励ましとご指導やご厚意によって、伸び伸びとしたものになり、楽しく快適に過ごす事が出来ました。今では非常に感謝しております。
 現在では、左膝関節の最大屈曲角度が120度。杖歩行も自転車漕ぎがこなせるまでに到りました。
 嬉しい事に、年明けの1月7日(土)に無事退院する事になりましたscissors
 それ以降は、通院リハビリ療養と就労生活の両立となり、最大で最終の目的である正座やジョギング、スクワットが出来るように頑張って行きます。
 来年は、ミドルフォティーでもうすぐで五十路。
 今までの経験を活かしながら、自分自身の健康維持にも努め、多くの人達から愛される様、頑張って行きますscissors
 今年一年間、色々とお世話になり誠にありがとうございました。
 それでは、皆様良いお年を~paperhappy01note
 

2016年8月28日 (日)

24時間テレビ「愛は地球を救う」と「バリバラ」との比較

 今日、親子水入らずで日本テレビ系の24時間テレビ「愛は地球を救う」とNHKEテレの「バリバラ」を視聴した。

 私が感じるには、両者とも「障碍を持った方々」が主人公である事には変わりはないし、障碍を持った方々の生き様と思いが広く知らしめる事をそれぞれの方法で行っているのだと・・・。

 しかし、両者を比較してみると、前者の方が年一回のみの放送のためか「障碍者の非日常が生み出す美しさと力強さ。そして親子と社会との絆。夢と希望。」を、後者の方は毎週日曜日の19時からの定番放送であるため「障碍者の日常が生み出す泥臭い生活感。そして、本人が持つ個性の多様性。気さくさと明るさ。」をそれぞれ主張しているのだと・・・。

 来年からは、24時間テレビとバリバラを両方見て、今年以上により細かく面白く比較して行こうと思っている・・・confident

2016年8月14日 (日)

相模原市障碍者施設殺人事件について思う事・・・

 去る7月26日未明、神奈川県相模原市の県立障碍者施設「津久井やまゆり園」(以下「やまゆり園」と表記)で発生し、19人もの尊い命が奪われた日本の犯罪史上凶悪で凄惨たる事件から早くも3週間以上が経つ。
 発生直後は、仕事へ出かける前の朝にこのニュースがインターネットやテレビで次々と報道されており、慌ただしく混乱した雰囲気の中「非常に怖い。」、「殺した犯人は絶対に許せない。だから即座に死刑にしてしまえ!。」との気持ちで一杯であったと同時に、「日本の障碍者に関する、医療や福祉、教育、倫理観、人権意識、警備、雇用、労働の政策は、いったい何をやって来たのだ!。この様な悲劇が二度と起こらないためには如何すれば良いのか。それらの事を障碍者に直接携わっている学者や専門家、その親御さんや兄弟親族だけの力では無理。障碍当事者や国民の力が絶対に必要不可欠だ!。」と思い、その様な気持ちを今でも持っている。
 
 加害者である犯人は、元々は「やまゆり園」の職員であった。
 障碍を抱えている方々達と関わりながら、働いている職員たちは世間からは「社会的に弱い方々への思い遣りがあり、彼らとは同一視線でコミュニケーションが取れる『崇高な御方達』である。」とのポシティブな印象が強い。

 しかしその陰では、障碍福祉関係に携わって勤務している方々から「人手が足りない。」「勤務シフトが不安定で、勤務時間が長く、その割には給料が安い。」、「障碍を持っている方々との付き合いや気配りは大変。だから、何とかならんのか!。」との声を口々をよく聞く。私自身も、発達障碍の当事者であると同時に、幼少時代からの当事者さん達だけではなく、その親御さん達や障碍者福祉関係の職員やボランティア(私も経験や実績があるのだが・・)との交流が昔からある。
 
 私も当初は「障碍者福祉職員になりたい。小さい時にその方々からお世話になったから・・。」と思っていた。若い時には、余りにも軽率ではあったが、福祉の専門学校へ入学しようと試みたことがある。自分自身が福祉も難しさや自分自身の人格や感性、対人関係構築能力が不足していたため、そちらへの入学を断念をした。しかし、その事が契機で同世代の発達障碍当事者の方々との交流(入浴ツアーや食事会、座談会と言う形で)、ボランティアや施設主催の行事への参加等を積極的に参加して行く事となった。それが今でも継続発展緊密化し、そちらから多くの事を知って学び、優しさと勇気と楽しさを得られる事が出来て、非常に嬉しい。

 犯人の話に戻るのだが、その凶行の原因が「障碍者は邪魔だ。だから、何とかして抹殺しよう。」との事であった。私が感じるのには、以上の理由だけではないと思っている。
 「給料の極度の安さ。」や「人手不足から来す劣悪な労働環境。」、更には障碍者に対する差別の残存(例えば【変な人や社会に対して不要な人達に対しては、『臭い物には蓋をしてしまえ』や『出る杭は打たれる』と言う古くからの『ムラ社会』論理の下で行われた『座敷牢』的思考】の残存等)、儒教の教義による「親第一主義」が抱えている封建的なマイナス側面がある。
 その結果、多くの障碍を抱えた方々への虐待や差別偏見、隔離等を生んでしまった。これらのせいで、社会や親戚・家族と障碍者児達との生の交流や絆、相互間の無関心等と言う形でいびつなものとなり、それらから来す思い違いや障壁、トラブル等が立て続けに起こってしまっている。更には同じ親戚ないし家族間(特に親子間)でまでにも、発生しているのが現状だ。
 そのために、障碍福祉施設で問題となっている「滞留」も起こってしまっている。
 最悪のケースとしては、過去に発生した「母親による障碍者や障碍児への殺害事件若しくは無理心中。」、「引きこもり」、「家庭内暴力」、「豊川市の主婦殺人事件」、「浅草のレッサーパンダ帽を被った男性による、女性殺害事件」、「宇治市塾講師による、小6女児殺害事件」、「豊川市の引きこもり殺害事件」、「渋谷区女子短大生バラバラ殺害事件」等と言った、人命を殺めてしまうと言った惨劇さえも起こしてしまった。

 この様な惨劇が起こらないためには、警察・消防・司法・教育・福祉・医療に基づいた法の整備とサービスの多様化と柔軟化が必要不可欠である。
 日本以上に障碍者と健常者との共栄共存が進んでいるとされている欧米諸国の場合を例えてみると、アメリカでは「障碍者差別禁止法」があり、多くの欧州諸国では療育や教育に関する予算の分配が日本以上に多く、箱型収容形式を取っている福祉施設や精神病院が廃止されて「地域社会と積極的に共栄共存して行こう」との方針が取られ、障碍当事者の積極的な地域社会への参加や安定して思いやりのある雇用就労体形が為されているとの情報もあるのだ。
 発達障碍の当事者と支援者(殆ど自称だが・・・)を兼ねている私自身にとっては、それでも不充分で改善と進化の余地がまだまだあるのでは無かろうか・・・。
 
 恥ずかしくて、非常に愚かな事ではあるが、私も「障碍者と健常者又は障碍者と支援者、更には当事者同士でも、価値観や社会的環境の相違、当事者同士の競争と格差、昔の平等苦からの脱却等から来す『心の障壁』や『偏見や差別で以てした侮蔑心』を持ってしまい、そんな自分自身が非常に恥ずかしいし、後悔している。私自身も無意識的に、以上の様な気持ちが出て来てしまう事もある。そんな事にならぬ様、日頃から気をつけんとあかん。」と感じている事が日常茶飯事となっている。
 非常に偉そうな高言となってしまい、申し訳ないと感じている。
 
 今後からはそれらの事を試行錯誤し、無理をする事無く、私自身が出来る事の範囲内で実行しなければならないのだと思う。
 

2016年4月 6日 (水)

金沢の桜

 私が住んでいる金沢には、兼六園を始めとした桜の見所が沢山あります。
 ここ最近では、北陸新幹線開業や円高の影響で、日本全国いや海外からの観光客が金沢を多く訪れています。
 桜の名所と言えば、やはり日本三名園の「兼六園」と金沢城です。いや、そこだけではありません。

兼六園 1459952237570.jpg 1459952238736.jpg 金沢城 1459952240356.jpg 1459952241544.jpg 1459952242975.jpg 1459952244308.jpg

大手堀 1459954187636.jpg 1459954188269.jpg

黒門前緑地(旧検事正官舎) 1459952245482.jpg 1459952246640.jpg

犀川河畔 1459952247871.jpg 1459952249121.jpg

伏見川河畔
※金沢の穴場たる桜の名所として有名です。昔は、そちらにさくら見物のための川船を運航していたとの話を聞いたことがあります。 1459952250516.jpg 1459952251676.jpg

 この様に、金沢市内には町中から郊外まで、様々な場所で景色で桜の花見を楽しむ事が出来るのです。 金沢に生まれ育って本当によかったと感じています。

続きを読む "金沢の桜" »

2016年3月 7日 (月)

確定申告苦労記

 昨年末から始まった確定申告の処理業務が、税務署への書類提出で以てしてようやく終える事が出来ましたcoldsweats01
 その処理業務を自分自身で始めてから、約三年目を迎えようとしています。
 自分自身の仕事に関わって来る会計帳簿計算については、自分自身で把握していたため、円滑には出来ていたものの、自分自身の各種保険料や住民税、通信料金については、各種金融機関の通帳を実家の母が管理していたために殆ど把握出来ていませんでした。金銭の流れの知識や自分自身の日常生活における金銭感覚やその管理が、中年世代になってしまった自分自身にとっては、非常に恥ずかしい思いです。
 その様な最中でありながら「如何にして節税し、多くのお金を取り戻して行くか?。」について、四苦八苦の毎日が確定申告の処理業務の始まりから終わりまで関係なく続いて行く事となってしまうのです・・・。
 それを始めた当初は、次々と送って来る保険会社や役所からのはがきや書類に記載されている、年間総支払保険料の金額を記録。「それを集計しては、次々と計算memo。集計金額が合えば嬉しいhappy01scissorsが、失敗すれば、またやらなきゃならんのかthunderdespair。ああ、いじっかしいcoldsweats02despair。何とかなって欲しいbearing。」との思いを繰り返していました。
 しかし、その一方では「Excelと言う表計算ソフトを使ったり、国税庁のHPの中に確定申告書類作成コーナーがあるので素早く簡単に出来るので楽でいいやsmilesign03。」と思う気持ちがありました。その様な思いで、パソコンによる確定申告書類を作成して、その完成品を印刷して金額を見た所、控除金額が少なかった事に愕然としたのです。
 このままでは駄目だという思いで、母や税務署、友人に相談する事にしました。その時は、「母や相談に乗ってくれた友人や知人に対して申し訳ないし、お互いに迷惑や恥をかいてしまっては困る。本当にこれで良かったのだろうか?。」との思いでした。それを繰り返して行くうちに、自分自身の税金や経済観念の余りにもの無知さに対する恥ずかしさや税に関する新しい知識、正しいお金の使い方に関する要領を覚えたり学んだりする事が出来ました。だから今となっては、私の相談に乗ってくれた方々に対する感謝の思いは忘れません。
 今後からは、この思いを更に馳せて行く形を発展進化して行く形として行きます。市販されている確定申告書類作成対応の会計ソフトが購入が難しいと言う立場を取らなければなりません。「如何にして、確定申告の複雑多忙な時期に対応して行くのか?。」「如何にして、楽な形で確定申告の書類作成に対応した計算して行くか?。」なのです。          
 要は以下の通りでないでしょうか。

 ①パソコンソフトでもノートでも使って良いから、収支報告書や家計簿、会計簿を作る事。   

 ②自分自身が使ったお金の領収書やレシートを残しておく事。

 ③①~②の事の行為を、毎日欠かさずやって行く事。

 ④確定申告に関する知識を貪欲に自分自身に取り入れて行く事。

 

 ①~④の行動は非常に当たり前な事なのです。
 しかし、その事が故に、「自分自身で偉そうで生意気な事を口にするよね。本当に自分自身でその様な行動を実行して、ちゃんと出来ているの!。」と他の人達から言われてしまう程の内容です。
 この様な事は地道で地味でそれを繰り返して行かなければならない自体、非常に辛くて嫌な行動です。それらを繰り返して行く事で、多忙で面倒臭い確定申告の時期を楽に乗り越えて行く事が出来ます。
 経験上、確定申告書類が楽に出来る様にするための計算データベースを作成した自分自身もそう感じています。
 

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