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2014年6月28日 (土)

トワイライトエキスプレス廃止について思う事・・・

 北陸新幹線金沢開業まであと一年を切り、私達が住んでいる石川県と富山県を中心にその熱気が満ち溢れ、今後の地域活性化や新たな問題点の模索に懸命になっている。ここ最近では、新幹線が開業する事で長野県が近くなるため、沿線自治体の観光やグルメ、文化等のPRや広告が非常に盛んだ。
 

 その様な雰囲気の中、非常に嫌なニュースが飛び込んだ。それは「大阪と札幌とを、日本海縦貫線(北陸・信越・羽越・奥羽の各本線の総称)経由で結ぶ寝台特急のトワイライトエキスプレスが車両の老朽化のため、2015年3月のダイヤ改正を以てして廃止される。」であった。そのニュースを聞いた途端「1000㌔以上の長距離をゆっくりかつゆったりと、スローライフの感覚で走る列車が無くなってしまう。」、「カシオペアや北斗星と並ぶ、北海道行きの超人気特急を廃止してどうするんだい!。せめて、車両や機関車を新造して欲しかったのに!。」、「どうせ、廃止されるのであれば、北海道新幹線の新函館北斗の開業に併せて欲しかったのに!。北斗星もカシオペアも廃止されるのだから。」、「北海道新幹線は、札幌まで全面開業しないと意味がない。新函館北斗までの開業による本州~北海道間の寝台列車の廃止は、JR北海道の更なる悪化に輪を掛けてしまうだけ。これで墓穴を掘った。」と思い、思わず荒げた大声を出してしまう程であった。Photo

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 トワイライトエキスプレス(以下「トワイライトEXP」と表記)が廃止されるニュースを聞いてからは、「何とかして残して欲しかったが、今のうちに撮影しよう!。」との思いが高くなり、金沢駅へ行く事にした。朝は「大阪行き」、昼は「札幌行き」の姿を撮影したり、見学したりする人たちで一杯で、鉄道マニアやそうでない方も関係無く「最後の姿を惜しもう」との思いにそれぞれが耽っていたのであろう。

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 話は変わり、トワイライトEXP誕生から廃止までの経緯を説明する事とする。誕生は1989年。青函トンネル開通と寝台特急北斗星(上野~札幌)誕生、寝台特急日本海の函館延長の翌年であった。使用する車両は24系25型の改造形式で、車体の色は今までの青色ではなく深緑色となり、食堂車とサロンカーは勿論連結されていて、個室寝台主体の編成となっている。誕生当時は「ブルートレイン」として長年親しまれ続けてきた青色から深緑色に変わり、重厚な欧風の室内空間、運行形式が毎日運行の定期ではないために「ただ長距離を移動する」から「車窓と車内を楽しみながら、永き時間を寛ぐ。」と言う、革新的なクルージングタイプの列車として、バブル期と相まって注目度も評判も非常に高かった。バブルが崩壊し、長年の不況や長距離夜行バスと新幹線及び航空路線の拡充と割引切符の多様多種化、JR同士の運行手続の複雑化や大都市圏の朝晩における列車ダイヤの複雑化と高速化によって、夜行列車の立場は年を追うごとに肩身は狭くなって行った環境の中でも日本の鉄道文化にしっかりと根付き、多くの人達から愛された。

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 2000年代に入ると、新造車両として90年代後半に登場した「カシオペア」(上野~札幌間)と「サンライズ瀬戸&出雲」(東京~高松・出雲市間)を除く、夜行列車の車両の本格的な老朽化、日本の経済における構造の変化や低迷、人口構造の少子高齢化、東京一極集中化、高速夜行バスの低価格化、旅行会社等のアイデアによる宿泊&飛行機又は新幹線や特急列車とのパックの拡充等が加わり、夜行列車の廃止どころか存在そのものも危ぶまれて行った。北海道夜行の場合は、青函トンネルの人気は昔ほど無くなってしまったのにも拘らず、本州との間には夜行バスが無いため、夜行列車の運行には打って付けの環境だ。しかし航空路線だけでなく長距離フェリーも充実しているため「早く行くのであれば飛行機。」で、「格安で行くのであれば長距離フェリーで。」と言う選択肢もあったため、その中間の夜行列車の人気は低迷し、日本海の函館発着便の廃止や全盛期には三往復もあった北斗星も、一日一往復となってしまった。やはりその様な環境にもかかわらず、トワイライトEXPとカシオペア、一日一往復となってしまった北斗星は、厳しい苦境に耐え抜いたのである。
 鳴り物入りで誕生した北斗星とトワイライトEXPも、車体そのものの老朽化が著しくなり、乗車した事も無く偉そうな言動とはなってしまうが「北斗星とトワイライトEXPの客車とサービス、牽引機関車を新造して、カシオペアと共に北海道新幹線や北陸新幹線が開通したとしても絶対に残して欲しい!。」と思うようになって行った。しかし、現実は甘い訳が無かった。北陸新幹線の金沢開業により、金沢~直江津間の並行在来線が第三セクター化してIRいしかわ鉄道あいの風とやま鉄道えちごトキめき鉄道に分割される。一方、東北北海道新幹線関連では、盛岡~青森間の並行在来線がIGRいわて銀河鉄道青い森鉄道に分割済みで、青森~函館までの並行在来線については、青森県内はJR東日本、青函トンネルを含む津軽海峡線区間は北海道新幹線と在来線との共有してJR北海道、木古内~五稜郭間は第三セクター化(新会社の名称は未定)に、それぞれ分割されてしまい、青函トンネルを含む海峡線の架線電圧が新幹線にあわせて20kVから25kVに昇圧され、新幹線や専用機関車以外の運行が不可能となってしまう。その上、新型専用機関車がJR貨物のみの所有となるため、旅客車両の牽引も出来なくなってしまう事から、本州~北海道間の在来線旅客列車の全てが、2016年春の北海道新幹線新函館北斗開業を以てして、廃止されてしまう事となる。
 これにより、現在でも運行されていて人気が高いサンライズ出雲&瀬戸を除いた長距離で都市間を結ぶ夜行列車が姿を消す事になってしまった。しかし、私個人の立場で思う事には、これも高い運行や車両維持のコストや出雲大社への参拝ブームの一段落化、何れかはやって来てしまう車両自体の老朽化・・・。等、それ自身にも不安の要素は非常に多いと感じてしまう。
 しかし、その一方では、日本の鉄道から姿を消えてしまいそうな寝台列車に対する明るい話題もある。それは、JR九州によるななつ星in九州の登場である。それは、今をときめく形で人気は絶大で、途中下車による観光地への見学や車内だけではなく、名旅館にも宿泊が出来る九州島内周遊タイプのクルージングトレインで、世界中が注目している程だ。その様な形態の列車が、JR西日本とJR東日本で2016年以降に誕生する。専用機関車を持たない個室主体で周遊タイプのクルージングトレインではあるが、前者はハイブリッド式のディーゼル車、後者は電車と気動車との良いとこ取りが特徴のEDC(架線方式のディーゼル車)をそれぞれ採用する。更にJR東日本の新型クルージング車両が北陸地区にも来るとの噂や情報が入った事から尚更嬉しく感じて来る・・・。
 また、青森県と岩手県が在来平行線運営会社の収入維持と鉄道活性化のため、カシオペアや北斗星の存続運動もあり、これもまた非常に嬉しい。この様な波が、北陸地区でも是非とも起こって、大阪~北陸~東北及び北海道間の寝台列車の存続や新規運行に繋がって行けたらと感じている。私個人としては、大阪~青森間に観光周遊とビジネスの需要を兼ね備え、格安志向から高級志向まで揃え、新青森で東北北海道両新幹線に接続する座席もある夜行寝台特急をJR西日本とJR東日本とで共同開発ないし共同運行する形で是非とも新設して欲しいと思っている・・・。その様な新型の寝台特急が、新幹線や飛行機の補完や高速交通機関(飛行機、夜行高速バス、新幹線等)の恩恵を受けない地域同士とを結ぶ役割を持つ形で。
 

 私は、北海道へトワイライトEXPに是非とも乗って行きたいと思っているが、未だに乗車した事が無い。廃止はとても嫌な事だし非常に寂しい。
 日本における新たな寝台列車いや高級観光列車文化の礎を四半世紀にもわたって築き上げただけに、感謝の意を挙げたい。本当にお疲れさまでした。2015年春まで、有終の美を飾る形で頑張って下さい・・・。
 


2014年5月 3日 (土)

あと一年を切った、北陸新幹線の開業について思う・・・。

 北陸新幹線の開業まであと一年を切り、石川県と富山県を中心とした沿線地域では、開業前バブルに湧いています。駅周辺での再開発事業や町ぐるみでの各種イベント、食品や食材、民芸品や工芸品を中心とした商品の開発、JR東日本とJR西日本との共同開発で誕生した新型車両E7/W7系の長野新幹線での乗車ツアー、白山市の新幹線車両基地への搬入(W7系)が本格化し、基地内での試験走行も始まっている等・・・、暇がありません。大宮~金沢までの試験運行も早く始まって欲しいですね・・・。
 しかしその陰では、並行在来線の活用や将来の経営策、日に日に進む東京一極化集中に伴う経済や商業活動のストロー現象や人口流出、新幹線開業後には疎遠となってしまう関西中京方面との交流活動の行方等、嫌な問題も同時に抱えてしまっています
 そんな中、私は東京へ鍼灸マッサージ関係の勉強会に行く事になったので、その序でに新幹線見物及び撮影へ行く事にしました。東京駅の東北山形秋田/上越長野(北陸)新幹線ホームには、新旧多様多種で色とりどりの車両が見られました。それを待ち構えた鉄道ファン等で大変賑わっておりました。

 E2系の後継車として登場した、E7系を生で見ると「開業まで、待ちきれん!」とワクワクドキドキします。

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 現在運行されている東京~長野間の「あさま」に加え、東京~金沢間の最速タイプ「かがやき」、標準タイプ「はくたか」、富山~金沢間の「つるぎ」に使用される予定です。
 E2系で培われた急勾配での登坂制動機能とE5系の最新のテクノロジーを併せ持ち、グランクラス等の快適で和風情緒が満ち溢れた豪華な空間が大きな特徴です。しかし、営業最高速度が260キロ、性能最高速度が275キロとやや控えめです。
 将来的には、上越新幹線にも東北新幹線で使用していたE2系10両編成の初期タイプやダブルデッカータイプのE4系の後継として、E2系1000番台(E2系の後期タイプ)と共に投入されるかもしれません。

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 元々、北陸新幹線は東京と新大阪の間を上信越地方と北陸地方とを経由し、東海道新幹線の代替ないし補充機能として建設されています。私が思うには「この様な機能を生かすのであれば、北陸新幹線を全線JR東日本が運営し、営業最高速度を320キロに引き上げ、快適な室内空間と至福のサービスで以てして行けば、JR東海と対抗して行く形で東海道新幹線との競合をして行けるのは間違いない!。」と感じている程です。
 

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P1000683_2 以上の光景を見ると、新たな時代の旅情を誘いだします・・・

 山形新幹線E4系つばさ号&東北新幹線E2系やまびこ号、秋田新幹線E6系こまち号&E5系はやぶさ号の組み合わせの画像。迫力があります。

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 今年の春のダイヤ改正で、E6系の誕生や東北新幹線新青森延伸に伴うE5系の登場及び320キロ運行開始に伴って、E2系によるこまち号は無くなりました。力強さをまざまざと感じさせます。上記の扉の下のステップは、ホームと車両との隙間を埋めるためのもので、本当に迫力がありました。
 E5系は「細マッチョ」な雰囲気で、余りにもの長さと細さで女性的な美しささえも感じた程です。つい最近、北海道新幹線のH5系が発表されましたが、外観はE5系とそっくりです。しかし、帯はラベンダーやハスカップをイメージした薄い青紫色となっています。新函館行きの新幹線の愛称が何になるか楽しみですね・・・。新しい名称になるのか。それとも「はやぶさ」のまま更に北の大地へと進むか?・・・。P1000705_2

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 東北新幹線の新青森行きの愛称として、そして東北新幹線の最速タイプ及びフラッグシップとしてわずか三年ですっかり東北の地に「はやぶさ」の愛称がしっかりと馴染んだ気がします・・・。この「はやぶさ」は、東京~西鹿児島(現在は鹿児島中央)間を結んだ夜行列車の愛称として、昭和33年10月の誕生から廃止までの半世紀もの間、熊本止まりになりながらも東京と南九州とを結ぶ列車として地域に親しまれてきただけに、開業前後は大変大きな違和感や不満を持っていました。
 その心境は「東北新幹線の最速タイプが『はやて』の愛称で地域社会に根付こうとしている途上に、何故こんな中途半端な事をしているんだ!。その愛称を長年にわたって地道かつ根気よく育て上げて行くのが常識なんだろう!。何考えているんだ、傲慢なJR東日本とお人好しのJR九州は!。」や「折角名前と付けるのであれば、往年の東北名特急の愛称である『はつかり』にしないのか?。最速タイプで東北新幹線のフラッグシップの愛称を『はやて』にして、新青森行きの中間タイプを『はつかり』にすべきよね。」でした。
 しかし、よくよく鉄道ファンにターゲットを絞ったインターネット等のブログサーフィン等で調べて見ると「はやぶさ」の愛称は、九州新幹線博多延伸に伴って誕生する山陽新幹線直通便の新愛称の候補としても、第一位の「さくら」(「ひかり」と並ぶ、中間タイプの愛称として使用中)に次いで、第二位とかなりの上位にランキングされていました。私の個人的な判断から行くと、JR九州とJR西日本は、新大阪~鹿児島中央を結ぶ新幹線列車の種別を「ひかり」相当の中間タイプの設定に最優先しすぎた余り、「のぞみ」相当の最速タイプが後回しになっていたのかも知れません(九州新幹線が最高速度の制限が260キロの整備新幹線であるためや寝台特急はやぶさの廃止直後等のトラウマや「はやぶさの名称は古いブルトレや夜行列車のイメージがあって、余りにも時代遅れ過ぎるので甚だしい。カビ臭い。」との印象もあったのでしょう。)。現在では最速タイプが「みずほ」、中間タイプが「さくら」となっています。もし、九州新幹線で速度による運行種別設定が当初から同時並行に行われ、東北新幹線最速列車の名称が「はやて」のまま、新青森延伸時における新たな列車愛称名の公募が行われていなかったら、ひょっとしたら前者が「はやぶさ」、後者が「さくら」になっていたのはほぼ確実だったと感じた程です。それだけに「はやぶさ」の名称は、南九州の人達にとって東京や名古屋等の本州の大都市とを行き来する列車としての思い出があり、地域にしっかりと根付いていたのですよね。もし、山陽九州新幹線の愛称として「はやぶさ」の名前が採用されていたとなれば、沿線地域の喜びは、「さくら」よりも大きなものとなっていたのは間違いなかったでしょう。
 この「はやぶさ」は、本当に東北の地でやって行けるだろうかと心配していましたが、今をときめくJR東日本のフラッグシップたるE5系の代表格として見事に生まれ変わり、新たな形で急成長したなと、すくずく感じています。
 北陸新幹線の「かがやき」も「はくたか」、「つるぎ」、「あさま」も、東北新幹線の「はやぶさ」の様に大発展と大成長をして欲しいと願っております。

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2013年1月29日 (火)

ボーイング787型機のトラブルについて思う事・・・

 ボーイング787型機は、素材・胴体・翼・部品において多くの日本製品が使われているため、事実上”made in Japan”の最新鋭の機種で鳴り物入りとして誕生した。別名は「ドリームライナー」である。 その最大の特徴は、素材に東レ製の炭素繊維が使われている事で軽量化が図られ、B767型機とほぼ同じ収容数にも拘らず航続距離はB747やB777-200ERやエアバスA340とほぼ同じいやそれを超えており、コンパクトで高い機動力と低燃費が自慢の最新鋭機種である。
 構造不況や経営不振に喘ぐANAやJALが古くなったB767やA300、老朽化が進み始めたB777−200の初期導入機の後継機種として、経営再建の象徴ないし切り札としても導入された。B777では供給過剰な中長距離国際路線や国内線で活躍し、B737及びA320クラスとB777及びA330クラスとのセグメントを埋める位置付けも果たしている。使い方次第では両社の長距離路線の定番である欧米線だけではなく、未開拓でこれからの経済発展や観光需要増加の可能性が高い日本発着の中央アジア(タシケント・アルマトイ等)や東アフリカ(ナイロビ・ヨハネスブルク等)、中近東方面への路線開設の切り札としての可能性をも秘めた魅力をも持っていると私には感じているのだが・・・。
 以上の様な高い性能と柔軟性のある幅広い用途を有しているので、世界中の航空会社からの評判も良く、相次いで多くの発注を得る事が出来たのだ。
 2011年にはANAが国内線(羽田〜岡山線)で、2012年にはJALが長距離国際線(成田〜ボストン線)でそれぞれ順調の良い形で就航デビューを果たし、B787の高い性能を見せ付けただけではなく、ANAやJALを始めとした日本の航空業界や物価の安い中国・韓国・ASEAN諸国製品の品質向上等で気力を落としている日本製品の活性化のシンボルになり得て、時代の寵児として持て囃されていた。
 しかし年が明けてからは燃料漏れやリチウムバッテリーの延焼等、多くのトラブルを起こしてしまった。それに伴い、ANAやJALを始めとした世界中のB787を保有している航空会社はその運航を停止した。この事で同機の問題の有無を検査し、設計ミス等機体構造の改善までもが求められているあり様となってしまった。この事で「ボーイング社自慢の最新鋭高性能機種」から一転、「ボーイング社が恥じる欠陥機種」となった。最悪の場合は、同機種を鳴り物入りとして大量に導入したANAとJALにとっては経営不振の悩みの種にもなりかねなくなってしまう・・・。
 機体トラブルの原因が「最新鋭機種故の悲劇だ。」や「設計や構造、材質に問題がある。」、「整備不良だ。」等とマスコミや雑誌等で報道されている。しかし利用者の多くは「安全で快適な運航」と「高機能・高性能・低燃費の機種」、「快適な室内とサービス」を求めている。特に事故の原因が「最新鋭機故の悲劇だ。」と報じられた事をあからさまに表現されてしまうと「航空会社や飛行機製造会社の責任逃れのための言い訳だ!。」と感じてしまうのは当然である。
 その理由がそれらだけではないと私には感じている。その理由とは欧米先進国は勿論、世界中のフラッグシップエアラインの殆どは一社のみのリスク回避や幅広く柔軟性な外交政策の実行のため、ボーイング社とエアバス社との両社の機種をバランス良く導入しているのだが、日本のANAとJALは米国重視外交の影響があってか、ボーイング社一辺倒になってしまい、競合機種によってはエアバス社製の方が高い性能を誇っているのにも拘らずそれを導入しないと言う傾向が余りにも強過ぎる。また、積極的に世界中にネットワークを広げている韓国や中国の航空会社と比べて、日本のそれは非常に狭い。日本の外交防衛政策や出鱈目だった飛行場の無造作な建設にも健全な航空行政や航空会社経営をして行く上で、妨げの一因にもなっていると感じている。
 ボーイングB787型機のトラブルを見ていると、原発事故や相次ぐトンネル崩落事故、世界中の鉄道や発電プラントの建設受注競争に置ける日本の不振、かつて家電メーカーのトップとして世界に君臨していたソニーやパナソニック等の凋落と同様だ。これでは「長きにわたって日本は『ものづくり大国ニッポン』としての誇り高きプライドはどこへ行ってしまったのだろうか?。」や「三菱重工が主体となって開発しているリージョナル小型ジェット機のMRJの開発や販売に大きな支障を来してしまうのではないか?。」との不安と失望がまざまざと感じてしまう。
 しかし、これからは以上の様な厳しい試練を機に日本の工業力や経済力、政治力、外交力の健全な復活と育成が本格的に進んで欲しいと思っている。
 要は「まだまだ日本は捨てたもんじゃない!」である。

(追伸)ボーイング787のURL≪ウィキペディアから≫
       http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B0787
     ボーイング社のURL≪オフィシャルHPから≫ http://www.newairplane.com/  
     三菱航空機MRJのURL≪ウィキペディアから≫http://ja.wikipedia.org/wiki/MRJ
     三菱航空機MRJのURL≪オフィシャルHPから≫http://www.mrj-japan.com/j/  
     エアバス社のURL≪ウィキペディアから≫
       http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%A2%E3%83%90%E3%82%B9  
     エアバス社のURL≪エアバスジャパンオフィシャルHPから≫http://www.airbusjapan.com/

2012年1月 3日 (火)

急行きたぐに号と寝台特急日本海号の廃止について思う事・・・

 昨年の11月下旬には、北國新聞に「寝台特急日本海が2012年3月のダイヤ改正で廃止の方向へ」が、翌月には「急行きたぐにが2012年3月のダイヤ改正で、寝台特急日本海のと共に廃止。」との記事が記載されていた。この事は、北陸地方や東北地方、関西地方だけでなく、全国の鉄道ファンにとってみれば、非常に悲しい出来事であった。北陸における鉄道旅客輸送の世代交代の荒波が押し寄せて来た感じもあった。

Ef812_2 何故なら寝台特急日本海の方は、昭和43年10月の誕生以来、関西ないし北陸地方と東北地方、更に北海道とをも結ぶ役目を長年果たしてきている。新幹線は勿論、新潟以北には高速道路や高速バスすらなく、直行便による航空路線はあるが本数は少なくて運賃は高く、しかもボーイング737やエアバスA320クラス(約150人乗り前後)の小型の旅客機しか使用していない。そのため、便数が多くボーイング767クラス(約260人乗り前後)の中型機も使用している羽田便乗り継ぎでの利用となってしまう事も多々あるのが現実だ。

 関西と東北を乗り換えなしで結び、しかも運賃も航空路線や東京経由よりも安いのでかなり重宝され、沿線の地域社会に深く馴染んでいる。私が秋田県や青森県出身者とそれについて話していた所「高校の時に、日本海に乗って京都や奈良、大阪方面へ修学旅行へ行ったよ。」と聞いた事がある。それの廃止が余りにも気になってしまい、HPで青森県の地元紙「東奥日報」や秋田県の地元紙「秋田魁新報」の記事には、「関西へ行く直通列車がなくなって残念。」や関西在住の青森県や秋田県出身者等から「是非残して欲しい。」と、私には悲哀どころか怒りにも感じてしまう意見が多々書かれていたのを覚えている。

 全盛期には2往復もあり、早便の一号と四号は関西や北陸と北東北を、遅便は関西と羽越線沿線とを結ぶ役割を果たし、かなりの人気を博していた。青函トンネル開通から約15年間は、函館まで足を伸ばしていたものの、航空路線やそれとホテルとの宿泊割引セットプランの拡充や車両自体の老朽化、車内サービスの陳腐化、JR相互間に於ける連携やダイヤ調整の難しさ等が乗車率の低下を招いてしまった。それにより、本数も減らされたり、運行区間も短縮してしまった。また、沿線には新幹線や新潟以北には高速道路が無く、関西と山形県庄内地方や秋田県、青森県とを結ぶ高速バスが無く、陸上輸送手段にライバルがおらず、それに胡坐をかいてしまった事が大きな災いを招いてしまったと、私には感じている・・・。

 急行きたぐにの方は、元々大阪と青森とを結ぶ超長距離急行で戦時中は一時廃止されたものの、昭和前半期から黙々と北陸路や東北路を運行していた。昭和25年頃から43年までは「急行 日本海号」の名称であったが、寝台特急日本海号の誕生以後は「急行きたぐに号」に名を変えた。昭和47年の北陸トンネル火災事故で食堂車が炎上した忌まわしい事故もあったが、関西~北陸間においては夜行急行として、東北地方では昼行急行としての役割をそれぞれ果たしていたので、寝台車の連結は大阪~新潟間であった。しかし、1980年代に入ると運行系統は、大阪~新潟間は「夜行急行きたぐに」に、新潟~青森間は「特急いなほ号」にそれぞれ分割された。昭和60年3月のダイヤ改正で、今までの客車から583系寝台兼用電車に置き換えられ、A寝台・B寝台・グリーン車・普通車自由席を連結し今日に至っている。

11_2 その投入直後は、東北新幹線の開業や関西発着の寝台特急の削減、余剰車両の近郊型電車への改造等で衰退して行く583系にとってみては、非常に明るい話題でもあった。更に、その座席の評判は芳しくなかったが、寝台については20系及び24系客車と比べて横幅が非常に広いため、乗客にとっては好評だった。関西~北陸間だけではなく、中京方面や長岡乗り継ぎの東京方面とを結ぶ最終ないし朝一番列車としての役目も果たしている。更に、新潟周辺や京阪神周辺では通勤通学電車としての役目もある。それだけに人気もあって「廃止されずに、行く行くは新型車両に置き換えられて行くのだろう。」と思っていたのだが、特急日本海と同様に航空路線拡充や車両自体の老朽化やサービスの陳腐化だけでなく、高速バスや新幹線の拡充と言う形で、それ以上に過酷な影響を受けてしまい、乗車率低下や廃止に至ってしまった。1990年代前半には、寝台特急の縮小削減の影響を受けた形で、大阪~新潟間の寝台特急つるぎ号が先に廃止された。

 話は変わって、私と「日本海」及び「きたぐに」号との関わりについての話へと変って行く事とする。

 私は中学時代に鉄道写真をよく撮影していた。夜間時には急行きたぐにと寝台特急日本海号、廃止となってしまった寝台特急つるぎ号に必ずと言っても良い程出くわしていた。その頃には国鉄時代には無くなってしまった臨時急行アルペン号(大阪~富山間)、最近廃止された寝台特急北陸号、急行能登号、荷物列車等、夜の北陸路はかなり活気に満ち溢れていて、異常に静かで気持ち悪い位の今日とは全く違っていた事を覚えている。そのため、当事の駅員さんや機関車の運転士、車掌さんとも会話を交わす程、仲良くしていた事もあった。

 また急行きたぐにには中学時代に母と大阪や和歌山へ旅行した時に、私は自由席に母はB寝台に乗り、車内が非常に賑わっていた思い出がある。しかし、寝台特急日本海の方は「一度はいつの日かはそれに乗って、東北や北海道へ行きたいなあ。」と思っていたのだが、一度も乗った事が無い。そのような事が果たす事もなく、今年の春には廃止されてしまうだけに非常に悲しいし悔しい。長期の不況や高速道路運賃割引サービスの拡充、東日本大震災の影響なのか・・・、とさえも感じてしまう。しかし、それらに明るい話題が「日本海ときたぐにの臨時化による、完全廃止の回避。」と言う形で報道された時には、「ホッと」した。それだけ関西及び北陸と東北を結ぶ貴重な交通手段として人気や需要がまだまだあるし、関西と東北地方の日本海側とは文化面や精神面で今日まで繋がっているのだと感じている。震災後の東北方面への旅行で日本海に乗車したいとの希望も湧いて来た。2014年の北陸新幹線金沢開業以降も是非とも残して欲しいと思っている。

この様に夜行列車の廃止や削減の波は「古くなったし遅いので、誰も乗らないから廃止されても仕方がない。」や「運賃が高いのにサービスが悪い。」との形で、多くの人達から口々に出てしまっている。事実、新幹線や夜行高速バス、航空路線の路線網は日本全国に広がり、各都市には安いビジネスホテルが乱立して、それら同士との連携割引パックが充実して来ている。それに追い打ちを掛けるかの如く格安ツアーバスや格安航空会社(以下、LCC)も拡充した事で「夜行列車は時代遅れの遺物。こんなものは誰が使う?。」や「北斗星やカシオペア、トワイライトエキスプレスの様な超豪華寝台は人気があるので、それだけで充分。」と言う形で、夜行列車は時代の遠い彼方に忘れ去られてしまっている。

 以上の様な事に対して私としては、疑問に感じている。それは「夜行列車は風情がある。」との漠然とした理由だけではない。それは、高速バスや航空機には出来ない定時制、車内の本格的なバリアフリーやグループや家族向け、ビジネス客向けの空間設計やIT化の可能性、CO2排出量がそれらと比べてかなり低く、環境に優しい事である。それだけではまだまだ不十分で、夜行列車が走る沿線の多くは新幹線や高速道路や高速バスや飛行場から離れているために、高速移動手段の恩恵を受けていない所が殆どである。それらの地域の最終的救済交通手段としても有効である。だから、夜行列車の廃止は「利用者の減少。」や「車両や車内サービスの老朽化。」、「JR相互間の思惑の違いやダイヤ調整が難しい。」と言うのは、ただのいい訳にしか過ぎず、「運行会社の怠慢による利用客や地域社会に対する一方的な愚挙で暴挙。」だと思っている。もっとも過疎化や人口減少、本格的な車社会等で沿線地域の公共交通手段も脆弱である事も多い。経済的、身体的ないし心身的な理由で自動車免許取得ないしマイカーを保持できなかったりする交通弱者と呼ばれている人達にとってみれば、非常に苦しい思いを強いられている。

 しかし、海外の方へ向けると、ロシアでは約一週間も掛けてシベリア鉄道で東西を結ぶ「シベリア急行」やカナダでは数日かけてバンクーバーとトロントを結ぶ「カナディアン号」、ヨーロッパでは各国間ないし国内の主要都市を結ぶ「シティーナイトトレイン」等があり、日本同様に高速鉄道や航空機等の台頭が目立って来て苦境に立たされてはいるものの、沿線の都市間同士を結び観光・ビジネス・生活面で日本以上にまだまだ活躍し、沿線地域にしっかりと根付いているのが現状である。その殆んどには、食堂車は勿論、シャワーやサロンも付いているのでサービス面でも優れ、羨ましく感じる。

 新幹線を新規に開業したり建設している地域では、並行在来線のJRからの経営分離による乗車運賃の上昇や運行本数の削減で過疎化に拍車をかけ、新設鉄道会社の経営悪化に留まらず、地域社会の衰退や崩壊を招いてしまう。旧国鉄ないしJRからの第三セクター転換路線の沿線でさえも実際、奥能登地域ではのと鉄道の輪島方面や珠洲方面への路線が廃止されて穴水止まりになってしまった事で、却ってその利用客は減少し、過疎化と代替バス路線の利用客の減少に拍車が掛ってしまった。この様な現象は、三セク化した長野新幹線軽井沢以西の旧信越線沿線、東北新幹線の盛岡以北の旧東北線沿線、九州新幹線の熊本鹿児島両県周辺の旧鹿児島線沿線でも起こっている。北陸新幹線が2014年に金沢まで開通するため、長野~金沢間の在来線が三セク化してしまうので、その沿線でも同じ様な事が起こらないのかと思うと、非常に不安だ

 以上の様に新幹線や高速バス、航空路線の拡充は時間短縮と輸送技術の向上、運送の効率化、その恩恵を受けた地域の活性化等明るい話題も多いが、同時に夜行列車廃止ないし削減と言う事実もある。それだけではなく「弱者切り捨て」や「地方切り捨て」、「過疎の悪化」、「大都市への一極集中化」と言う悲劇も起こってしまう。だから「資本主義社会は儲け第一主義。利益第一主義。原則競争社会だから儲からない所は駄目になって当たり前。」と言う原則で、「『弱者切り捨て』『地方切り捨て』と言う冷酷なルールが罷り通ってしまう。そんなのでは絶対に許されない。」と思っている・・・。

2011年3月 2日 (水)

さようなら 特急雷鳥号

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 昨年3月の寝台特急北陸と夜行急行能登号の廃止から一年後、鉄道ファンにとっては寂しいニュースが入って来た。それは、特急雷鳥号の廃止である。
 特急雷鳥号(大阪〜富山)は、東海道 新幹線(東京〜新大阪)の開業や東京オリンピックが開催された昭和39年の12月に、米原経由で名古屋から富山を結ぶ特急しらさぎ号と共に北陸路に誕生した。その頃は、日本全国では固定クロスシートの急行列車が主流で、特急列車はまだまだ高嶺の花の存在だった。しかも、当時新造されたばかりの特急専用車両の交流直流両用481系電車が投入されており、まだまだ客車や気動車が主流だった時代に於いては珍しかった。その後の北陸本線の複線電化の北伸や高度経済成長と共に発展し、同線における優等列車の主軸となって行く。全盛期には、寝台座席変換可能な583系や50/60Hz万能型の485系や489系が投入されたり、金沢、和倉温泉、立山・宇奈月温泉、新潟、三宮・神戸発着系統、JR発足直後には最速達型の「スーパー雷鳥」も登場し、一日当たり20往復近くも運行されていた。

 しかし、平成の世に入って新型電車681系による「サンダーバード号」が登場すると、年が経って行くうちに「雷鳥号」の勢力は新世代の車両へと世代交代が本格化して行く・・・・。赤とクリーム色のツートンカラーで彩られた重厚かつ貫禄のあるスタイルは老朽化し、青とグレーのツートンカラーで彩られたスマートな姿へと変わって行った。21世紀に入ると、新潟行きは廃止され、富山系統は「サンダーバード」に統一され、肝心の「雷鳥」は全て金沢止まりとなってしまった。私個人としては貫禄のある485系とヘッドマークが好きなのだが、今の681・683系の方が「新しいだけでなく、早くて快適だしそれには越した事は無い。ま、いいか・・・。」と言った所だ。この様な状況に追い打ちをかける形で、長引く不況や高速道路の無料化、格安バスの普及等によって古い雷鳥号の勢力はとうとう大阪〜金沢間の一往復となってしまい、今年の3月12日のダイヤ改正で廃止される事になってしまった。

 さて、私と雷鳥号との関わりについての話へと変わる事とする。

 私は、電車が好きであった事や親戚が京都や大阪にいる事もあり、関西方面へ行く時は必ず「雷鳥号」を使っていた。その頃は北陸自動車道の全通云々以前に、そこを走る高速バスも無く、自家用車を持っていたのだが私自身がまだ未成年の学生時代で自動車免許もなく、しかも母親しかそれを持っていなかった。そのため、今は殆ど乗る機会がない特急列車が我が家族ないし個人旅行の主要アイテムであった。米原・名古屋方面への「しらさぎ号」や今は無き「加越号」と共に馴染みが深かった。中学時代になると友人達と金沢駅や金沢運転所、富山県との県境に程近い倶利伽羅周辺、福井県敦賀市の車両基地等への鉄道撮影へ行った際には、必ずと言ってもいい位「北陸本線のスター」としてそれを撮っていた。高校卒業後のサラリーマン生活における関西方面への出張には、必ずそれに乗っていた。私にとっての雷鳥号は、仕事からレジャーまで幅広く使っていたため、自分自身の体の一部であるかの如く非常に馴染みが深かったのである。

 しかし、私が東京への整体技術や知識の講習会や鍼灸専門学校への進学によって、その転機が訪れた。それに伴い、特急雷鳥号を使う機会が無くなり、東京との行き帰りには急行能登号や高速バス、上越新幹線+はくたか号を使う事になった。そのため、自分自身にとって非常に身近であった雷鳥号は、益々疎遠になってしまった。それと同時に東京が益々身近になって行った一方で、関西との距離的・文化的な感情までもが・・・。金沢にいる現在では、以上の様な状況が日増しに増した事や、高速道路や高速バスの低運賃化等で電車そのものの利用が少なくなったため、雷鳥号とサンダーバード号は全く馴染みが無くなってしまった。その間、私は京都の東本願寺や大谷廟所への参拝、大阪新世界や明石大橋見学への旅行の帰りの際、サンダーバード号に乗車した事がある。最終電車だった事もあってか、平日なのにも拘らず賑わっていた。満席の状態が福井まで続いていた。681系サンダーバード号の車内が綺麗で速かった事もあって、久し振りの特急電車は非常に快適であった。

 今年に入ると、以前から噂されていた「雷鳥号の廃止」の情報を受け、直ちに早朝ないし夜の金沢駅へ行って、雷鳥号を撮影した。その時は、自分自身が中学時代の「撮り鉄」に戻り、ビジネスからレジャーまで長年お世話になった対する深い感謝を込めまくっていたのだ・・・。それに併せるかの如く、金沢駅では「さようなら雷鳥号」の記念イベントや感謝状、写真展覧会、鉄道グッズの販売が行われていた。サンダーバード号への完全統一による廃止までの47年間、北陸本線の近代化に対して大きく貢献してきただけに、非常に盛大であった。私は、記念乗車もしたかったのだが、仕事のためにそれが出来ずにいて悔しい・・・。

 最後に、私個人としては「雷鳥号」の名称を北陸新幹線の大阪方面への開業の際には是非復活して欲しいと思っている・・・。それだけ、東海道・山陽本線における「つばめ」や「はと」、東北本線における「はつかり」に匹敵するビッグネームなのだから・・。

2009年12月12日 (土)

夜行列車の終焉

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 12月10日(木)の地元の新聞を閲覧していた所、「寝台特急北陸と急行能登が来年の春のダイヤ改正で廃止決定」の記事が出ていた。

 私はそれを見て「寝台特急北陸は、ブルートレインが全体的に凋落にある中、東京~北陸間の割引切符利用客にも利用されている程、そこそこ人気があるだけに、非常に残念。個室寝台も付いているのに・・・。せめて、2014年の北陸新幹線金沢開業の間まで残して欲しかったのに・・・。一方の急行能登は、一世代ないし二世代前の特急車両(昭和40年代半ば製造の489系電車)を使用していて外観や内観、座席も非常に古臭く、料金体系も座席に見合っていないので、何時廃止されても仕方が無かった。しかし、旧国鉄特急「こだま型」の今では希少価値となってしまったボンネット型車両を使用しているので、今の車両では見られない威厳たる貫禄や風格はあるので、私を含めた鉄道マニアには大変喜ばれているのだが・・・。」と思った。

 事実、JR発足から約20年間、速い飛行機(チケット割引購入サービスがある)や時間も正確な新幹線、値段が安い高速バス、安価なビジネスホテルの整備、旅行会社による新幹線乗り換え利用切符又は航空券とホテルの割引パック等の拡充等で、寝台特急は時代に只々取り残されてしまい、ここ最近の不況や新型インフルエンザの流行、高速道路運賃の値下げ等と言う形で、凋落の夜行列車に追い打ちを掛けてしまったのだ。増しては、交通の高速化と共に「面を広げながら結ぶ」から「点同士を結ぶ」と言う時代にもなってしまった。

 私が若い時、急行能登にも寝台特急北陸にも東京~金沢間を往復する時には、必ずと言っても良い程利用していた。二〇歳代の時は、新幹線+在来線特急を利用するには経済的にも苦しく、特急白山号(長野新幹線開業と同時に廃止)は、沿線の景色が見れて楽しいが、それに乗ると疲れてしまうし・・。そうかと言って当時の高速バスの座席が四列シートと狭苦しかったので、急行能登の方をよく利用していた。当時は、上京して専門学校へ行ってた時なので、安い高速バス料金よりも更に安く出来る学割を使っていた。年末年始や旧盆時期の時は、満席で賑わってはいたものの、私がシーズンオフの時に利用していた時は、気持ち悪い程ガランガランだった。しかし、専門学校卒業後は、学割制度使用の対象外となってしまったので、急行能登号を利用する事は無くなった・・。

 私としては、夜行列車を是非存続してほしいと思う。「夜行列車にはムードがあって、それを無くしてしまう事は非常に残念」との様な漠然とした理由ではない。高速バスでは絶対に出来ない居住空間(個室や寝台、サロンルーム、ユニバーサルデザイン等)やグループないし家族の利用者を対象とした割引切符の設定やコンパートメントルーム、個人サービス(シャワー、救急医療、インターネット接続、コンセント、本格的バリアフリーサービス等)の設定が出来る。それだけではなく、高速バスや航空機、新幹線、自家用車と比べてエネルギー消費量が少なくて地球環境に優しくて時間に正確である事、何せ新幹線や航空路線、高速バスや高速道路の恩恵を受けていない地域や中高年齢世代、更には移動手段の利用が限られてしまう身体障害者や視覚障害者等の救済システムとしても絶対に存続整備をして欲しいと思う。

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